はじめに
日本の戦後民主主義の原点は、人格の覚醒を前提にした人格の尊厳の平等、良心の自由をはじめとする自由、平和主義等を重視し、全ての人間が幸福に生活出来るようにする点にありました。これは基本的人権の重視と同義でした。
しかし、米ソ冷戦が始まり、東西で人権観も分裂しました。
1989年、冷戦が終結し、1993年、国連は世界人権会議で人権の普遍性を再確認しました。
1997年、日本でも人権擁護推進審議会が設置されました。
ここでは冷戦後の日本の人権保障の現実はどのようなものだったのか、1999年の人権擁護推進審議会答申を手掛かりに明らかにします。
人権擁護推進審議会の基本認識
「激動の世紀」と言われた20世紀も後一年数か月で幕を閉じ,新しく21世紀を迎えようとしている。
人類の歴史の中で,20世紀ほど科学技術が急速に発達し,人類の未来の夢をはぐくんだ世紀はなかった。しかし,20世紀は,人々の生活に快適さと豊かさをもたらした面がある一方で,人類に多くの災いをもたらした世紀でもあった。二度の世界大戦のみならず,冷戦後も度重なる各地の局地紛争は,かつてないほどの規模で人々の生活を破壊し,その生命を奪い,さらに核戦争の恐怖を生み出している。経済開発の優先は,地球規模で深刻な環境破壊・環境汚染をもたらし,人類だけでなく,地球上に生きとし生けるものすべての生存さえも脅かしかねない。
迎える21世紀は,「人権の世紀」と言われている。それには,20世紀の経験を踏まえ,全人類の幸福が実現する時代にしたいという全世界の人々の願望が込められている。20世紀においても1948年(昭和23年)の世界人権宣言以来,国際連合を中心に全人類の人権の実現を目指して,様々な努力が続けられてきたが,それが一斉に開花する世紀にしたいという熱望である。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/jinken/06082102/016/008.htm
国民の合理的判断能力の欠如
このように我が国には今なお様々な人権課題が存在するが,その要因としては,人々の中に見られる同質性・均一性を重視しがちな性向や非合理な因習的な意識,物の豊かさを追い求め心の豊かさを軽視する社会的風潮,社会における人間関係の希薄化の傾向等が挙げられる。国際化,情報化,高齢化,少子化等の社会の急激な変化なども人権問題を複雑化させる要因となっている。また,国民一人一人において,個々の人権課題に関して正しく理解し,物事を合理的に判断する心構えが十分に備わっているとは言えないことが,それぞれの課題で問題となっている差別や偏見につながっているという側面もある。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/jinken/06082102/016/008.htm
人権理念が正しく定着していない
このような様々な人権課題が存在する要因の基には,国民一人一人に人権尊重の理念についての正しい理解がいまだ十分に定着したとは言えない状況があることが指摘できる。
現に,総理府が平成9年7月に実施した「人権擁護に関する世論調査」において,基本的人権が侵すことのできない永久の権利として憲法で保障されていることそれ自体を知らないと答えた者の割合が,回答者全体の20.1パーセントを占めており,その結果から見ても,基本的人権についての周知度がいまだ十分とは言えない状況にある。同世論調査では,権利のみを主張して他人の迷惑を考えない人が増えてきたと思うと答えた者の割合が,回答者全体の82.9パーセントにも上っており,この結果からも,自分の権利を主張する上で他人の権利にも十分に配慮する必要があるという認識がいまだ国民の間に十分に浸透していないことがうかがわれる。
他方,上記の周知度との関連で,自分の有する権利についての理解が十分でないことから,本来,正当に主張すべき場面での権利主張が十分なされていないことがあると指摘されている。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/jinken/06082102/016/008.htm
日本は人権教育に取り組んできたのか
戦後教育学のリーダー堀尾輝久は次のように証言しています。
さらに、ユネスコ国際教育要項と書いたのは、国際的にはその問題がどう動いているのか、例えば、人権や平和の教育などはユネスコレベルでは当然のこととして強調もされているわけでしょ。かたや日本では、人権教育はむずかしい、平和教育というとなんとなく偏向教師に見られるような枠組みがつくられてきたわけだから、それに対する批判の視点というものを。国際的な視野も含めて僕らは持っていなくてはいけない。『教育国際資料集』(1998・青木)を作ったのもその頃です(堀尾輝久「公開インタビュー 教育学研究者として教育現実といかに向き合ってきたか」、『研究室紀要』第40号、東京大学大学院教育学研究科基礎教育学研究室、2014年7月、p.79)。
日本の人権保障の現実の諸相
おわりに
冷戦開始以降の日本では人権教育が行われてこなかった可能性があると思います。
人権は理性等の啓蒙と密接に関係しています。
従って合理的判断能力が欠如していると、人権の理念の定着は難しくなる側面もあります。
理性が感情に従属する場合、特にそうなります。
その場合、理性等の啓蒙をしっかり行う必要があるでしょう。
戦後啓蒙の後、日本は何をしていたのでしょうか。
国際人権条約やユネスコ憲章が「教育」と考えるものを、義務教育も含めて学校では何もして来なかったのでしょうか。
そうすると偏差値エリートもそうでしょうか。
例えば、東大医学部問題。
合理的判断能力の欠如。
もし事実であれば、異常事態ではないでしょうか。