誰が「国民」の真の友人か

はじめに

日本のエリートは信頼出来るでしょうか。以前からエリート批判はあります。マクロ的に見れば、冷戦終結以降、「左翼(?)」エリートも批判されています。例えば、進歩的文化人、岩波書店、朝日新聞批判等もそうでしょうか。こうした中で右翼エリート、「革新」右翼エリートが支持を集めています。

もし「階層」なり「階級」なりの「構造」がまだアクチュアリティがあり、それがある程度再生産される傾向がある場合、エリートもある程度再生産される傾向があると思います。そうすると右翼も「左翼(?)」もエリートは既存の「構造」に対してある程度既得権益を持っていることになると思います。

多くの場合、エリートは自らは「国民」の側に立っていると主張しています。しかし、ポピュリズムに見られるように、既存のエリートには根深い不信感もあると思います。実際、エリートの中には、極めて自己中心主義的で「国民」のこと等全く関心が無く、どうでも良いと思っているように見える者もいるかも知れません。

では誰が「国民」の真の友人なのでしょうか。もう「国民」の真の友人と評価出来るようなエリートは日本には存在しないのでしょうか。あるいはもともと真の友人は存在しなかったのでしょうか。「国民」には一人でも周囲に真の友人や親友と呼べるエリートがいるのでしょうか。あるいは一人もいないのでしょうか。エリートとは友好的な関係なのでしょうか、あるいは敵対的な関係なのでしょうか。敵対的な場合、「国民」自身がエリートやリーダーを叩き潰してしまうこともあるのでしょうか。あるいはそんなことは全く無いのでしょうか。真理は良く分かりません。

第二次世界大戦直後の日本―『朝日新聞』の社説―

戦後、エリートもエリートが信頼出来なくなりましたと思います。内村鑑三も学歴エリート(学生?)を余り信頼してなかったと言いますが、戦前は今後の課題にします。

『中央公論』と共に大正デモクラシーをリードした『朝日新聞』も、戦時中は翼賛報道をしていました。日中戦争をスタートさせた近衛文麿元首相のブレーン集団だった昭和研究会にも、『朝日新聞』は多くの人材を送り込んでいました。

しかし、終戦後、『朝日新聞』は編集方針を大転換させました。日本国憲法公布の約1年前に当たる1945年11月7日付けの『朝日新聞』の社説「新聞の新なる使命」では、次のようにエリートの無責任ぶりを指摘しました。

 日本国家としての戦争責任は、まだ明らかにされてゐない。軍閥の残党、白面長袖の輩、強大な官僚群、自責なき財閥の勢力もいまだ牢として抜くべかざるものがある。

その上で、「我等がその機関たることを宣言する国民」とは、「工場に、職場に、農山村に働く国民」であるとし、「日本の進路」は「軍国主義の徹底的絶滅」と「封建的国家性」の超克による「民主主義的革新」以外になく、しかもこれを占領軍の命令ではなく「日本の国情から発する絶対命令」としました。

戦後の『朝日新聞』は労働者階級を「国民」と捉え、その「働く国民」の力の結集に「眞の日本民主主義化の基盤」があると考えました。

以上からも日本の戦後民主主義は、自民党が主張するような占領軍による「押し付け」では無く、ある程度自発性や内発性があったと思います。

しかし、労働者階級だけが「国民」ではありません。もしかしたら、特定の階級の利害や関心を代表する新聞になってしまったかも知れません。しかし、実際、どうであったのかは分かりません。

他方で、『朝日新聞』の文芸欄の記者で、ケーベルとともに大正期の教養思想をリードし、近代日本における「人格の発見」者(堀尾輝久)とも評価される夏目漱石の思想的な影響を受けた人々が雑誌『心』に集まり、戦後の保守主義の思想的核の一つとなりました。

そうすると今は戦後民主主義と漱石を足して割ると良いのかも知れません。

しかし、何かを提案するのは早過ぎるでしょう。

歴史的に遡る場合、どこまで戻れば良いのか急がずに考えましょう。

少なくとも筆者はそうします。

つづく

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