はじめに
1960年代にカトリック教会は「アジョルナメント」を目指して改革を進め、平和の基礎としての正義の推進を自らの使命としました。そしてその一環として貧しい人々を優先する選択も行いました。しかし、その結果、裕福な階層の子弟が多かった日本のカトリック系学校は教会から批判され、アイデンティティの危機に陥りました。
既に半世紀が経過した2017年段階でもアイデンティティの再構築が模索されていました。
現在もそうでしょう。そうした事態を受けて今回は日本のカトリック系学校の改革の一つのシナリオを提示します。それは現代日本の精神革命の推進です。
戦後日本の精神革命論―南原繁東大総長の講演「新日本文化の創造」―
日本には三つの「教養(culture=文化)」思想の系譜があります。
①ケーベルと夏目漱石の系譜(三木清「読書遍歴」、『三木清全集』第1巻、岩波書店、1966年)。
②プロテスタントの内村鑑三と新渡戸稲造の系譜(武田清子「教育者としての新渡戸稲造―新渡戸稲造の研究(その1)―」『国際基督教大学学報Ⅰ―A 教育研究』第7号、1960年。同「大正期の2つの教養主義」、『日本古書通信』第57巻第9号、日本古書通信社、1992年9月)。
③(封印された)ケーベルとカトリックの岩下壮一の系譜([新渡戸稲造の弟子の南原繁の弟子の福田歓一の弟子(?)のカトリックの]半澤孝麿『近代日本のカトリシズム―思想史的考察―』みすず書房、1993年)。
②の系譜の新渡戸は、第一高等学校や東京帝国大学や修養論で、“to be”か“to do”かの取捨選択の重要性を説きました([新渡戸の弟子の]河合栄治郎「学生時代の回顧」、鈴木利貞編『学生と教養』日本評論社、1936年、p.293)。
“to be”は「何であるのか(存在)」、“to do”は「何をするのか(業績、行為)」です。新渡戸は、“to do”より“to be”が重要であると説きました。しかし、新渡戸は“to do”を無視した訳ではありません。新渡戸はあくまでプライオリティを問題にし、“to be”の視点から“to do”を再定位することを重視したと考えられます。
この教えの継承者の一人は、内村と新渡戸の弟子である政治哲学者の南原繁です。南原は政治学者の丸山眞男や福田歓一の師です。
1947年2月11日、東大総長時代の南原は「新日本文化の創造」という講演を行い、知的宗教革命による戦後日本の精神革命の必要を次のように説きました。
(人格個性の自覚に到達すること――引用者による注)には必ずや人間主観の内面をさらにつきつめ、そこに横たわる自己自身の矛盾を意識し人間を超えた超主観的な絶対精神――「神の発見」と、それによる自己克服がなされなければならない(南原繁「新日本文化の創造」、[丸山等と共に「思想の科学」同人の]武田清子編『人権の思想』(戦後日本思想体系第2巻)筑摩書房、1970年、pp.47~48)。
南原は“to be”への精神革命を説いたと考えられます。
この南原の講演は、「新聞・雑誌に詳報され、当時、虚脱状態にあった日本国民に新日本形成の目標を指し示した」と言われています(同上書、p.45)。
“to be”の世界基準としての国連の世界人権宣言
1948年、国連は世界人権宣言を採択しました。その前文には次のようにあります。
Whereas recognition of the inherent dignity and of the equal and inalienable rights of all members of the human family is the foundation of freedom, justice and peace in the world,
Whereas disregard and contempt for human rights have resulted in barbarous acts which have outraged the conscience of mankind, and the advent of a world in which human beings shall enjoy freedom of speech and belief and freedom from fear and want has been proclaimed as the highest aspiration of the common people,
Whereas it is essential, if man is not to be compelled to have recourse, as a last resort, to rebellion against tyranny and oppression, that human rights should be protected by the rule of law.
http://www.mofa.go.jp/policy/human/univers_dec.html
第一条では人権の主体としての「人間」つまり“to be”とは次のようなものとされました。
A ll human beings are born free and equal in dignity and rights. They are endowed with reason and conscience and should act towards one another in a spirit of brotherhood.
http://www.mofa.go.jp/policy/human/univers_dec.html
世界人権宣言が想定する「人間」とは、「理性、良心、友愛の精神を持つ個人」です。これが“to be”の当時の世界基準であり、それまでに多大の犠牲を払った世界史あるいは人類史の一つの到達点を意味したと考えられます。
日本の精神革命の課題①―「恥の文化」の克服―
戦後日本文化論の原点は、アメリカの文化人類学者のルース・ベネディクトの『菊と刀』( [長谷川松治訳]社会思想研究会出版部、1947年)です。ベネディクトは、アメリカ・インディアンの宗教観念の研究を出発点とする「文化の型」論者です。第二次世界大戦中の1944年にベネディクトは、日本への上陸戦(その後、沖縄戦として現実化)と戦後の占領政策に備える軍事目的からアメリカ軍に依頼され、日本研究を委託研究として開始しました。戦争中であった為、彼女は敵国だった日本を訪れることはなく、アメリカで主に文献や映画等の資料を手掛かりに日本を研究しました。彼女の研究は、連合国軍の対日占領政策にも影響を与えたと言われています。
彼女は西欧文化と日本文化の「型」を次のように規定しました。
①西欧文化・・・「個人の良心の啓発を重視するキリスト教的な罪の文化」。
②日本文化・・・「恥の文化」。
「恥の文化」とは、他者の評価や地位等を基準とする「恥を知ること」によって行動規制する文化を意味します。彼女は日本社会は高度な階級社会で、恩・義理を基礎にした上下というタテの人間関係が支配原理になっていると考えました。また、彼女は日本には基本的人権という観念が無く、幼児の頃より「恥の文化」のすりこみや教化が行われていると考えました。
彼女の日本研究が影響を与えたのかは分かりませんが、ポツダム宣言でも連合国軍は日本に対して理性と基本的人権を尊重するように要求し、1945年8月14日に日本もそれを受け入れ、翌日無条件降伏しました。
日本の精神革命の課題②―「タテ社会」の克服―
1967年、社会人類学者の中根千枝は、日本文化を「タテ社会」という視点から考察しました(『タテ社会の人間関係―単一社会の理論―』講談社現代新書、1967年)。中根は日本の「タテ社会」の特徴を、次のように指摘しました。
日本では、伝統的教団でも新興宗教でも、「神」認識が無く、現実のタテの人間関係が重視される。日本社会は宗教的ではなく道徳的な社会である。
現実の人間関係が考え方や行動をオリエンテーションする。それは「社会的強制」である。集団の生命は、主義・主張への個人の忠実さではなく人間関係にある。その為、主義・主張は後退する。学会や会議でもそう。後輩は先輩を批判出来ない。学者すらも真理ではなく現実の人間関係に従属している。西欧でもアジアでも類例が無い。反論は抑圧されている。現実の人間関係が無ければ、反論や抵抗もあり得るが、それすらも感情に従属している。論理ではなく体面や世間体を重視する。「非難」は存在するが「批評」は存在し無い。
ルール(規範・正義)や人間同士の「約束=社会契約」は存在せず、論理は無視され感情が支配する。意見の違いや感情の不一致は、村八分や集団からの脱落を生み出す。
日本の精神革命の課題③―メリトクラシーの克服―
1962=1971年に丸山の弟子で戦後教育学のリーダーの堀尾輝久は、日本の国家を「大衆国家=福祉国家」(丸山の弟子の松下圭一)と捉えた上で、メリトクラシー(能力原理、能力主義)の問題を次のように指摘しました(堀尾輝久『現代教育の思想と構造―国民の教育権と教育の自由の確立のために―』岩波書店、1971年)。
①教育(学歴)による上昇移動の可能性はそれほど大きくないこと。
②高等教育機会が供給過剰になり専門職や管理職等のエリート的職業に就職出来なくなること。
③「中間層それ自体のプロレタリア化こそ問題」なこと。
④所属階級(+地方社会)からの“climb out”(「自分の所属階層からぬけ出す」という不幸な内容を持つこと)。
1974年、堀尾も専門調査委員を務めた日教組教育制度検討委員会(委員長は梅根悟)は、「能力主義(メリトクラシー)」が「人間性」が破壊された冷酷なエリートを形成していると次のように指摘しました。
能力主義こそは、今日の教育荒廃の元凶、教育諸悪の根源というべきである。一方で、この体制のもとでは、いわゆるハイ・タレントの「すぐれた能力」そのものをも、いびつなものに転化し、知的エリートの人間性破壊が同時に進行していることが指摘されなければならない。あまたの友人をおしのけて、登竜門を通過することに成功したエリートたちが、いかにゆたかな感情を欠き、官僚的で偏狭で非合理な冷たさを露呈するのかは、その実例に乏しくない(教育制度検討委員会+梅根悟編『日本の教育改革を求めて』勁草書房、1974年、pp.82~83)。
エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を邦訳した社会学者の日高六郎も、同委員会の委員でした。
「大衆国家=福祉国家」のメリトクラシーの問題は、2018年段階でもある程度確認することが出来ます(金子聡「堀尾輝久『大衆国家=福祉国家』論におけるメリトクラシーの問題―その今日的妥当性に関する考察―」、『季論21』第40号、本の泉社、2018年春号)。
カトリック教会の「アジョルナメント」―使命としての世界平和の実現―
1960年代前半、カトリック教会は第二バチカン公会議で「アジョルナメント」を目指し、『現代世界憲章』で世界平和の実現を自らの使命としました。
平和の建設をするためには、なによりもまず人々の不一致の原因、とりわけ戦争の温床となる不正を取り除かなければならない。それらの原因の多くは、過度の経済的な不平等と必要な対策の遅延にもとづく。その他の原因は支配欲と人にたいする軽べつから生じるものであり、さらに深い原因を探せば、それはねたみ、不信、高慢、その他の我欲にもとづいている。人間はこれほどの秩序の乱れに耐えられないので、たとえ戦争に痛めつけられなくとも、世の中は絶えず人々の間の争いと暴力によって悩まされることになるのである(長江恵訳『第二バチカン公会議 現代世界憲章』中央出版社、1967年、p.139)。
しかし、「過度の経済的な不平等」の内容は明確ではありません。
1971年、リベラル派の政治哲学者のジョン・ロールズの正義論を提示しました(John Rawls,A Theory of Justice,Harvard University Press,1971)。ロールズによれば、不平等とは善き生の構想の自律的追求を困難にする基本財の不平等です。
また、1979年、スタンフォード大学でのターナーレクチャー「何の平等か?」で、リベラル派の厚生経済学者のアマルティア・センは、基本的ケイパビリティの平等を提示しました(Amartya Sen,“Equality of What?”in S.McMurrin ed.,The Tarnner Lectures on Human ValuesⅠ,Cambridge University Press, 1980)。1980年代以降、センは“well-being(福祉)”を測定するケイパビリティ・アプローチを開拓し、それはUNDP(国連開発計画)の人間開発思想へとも展開されました。センによれば、不平等とは基本的ケイパビリティの不平等です。そうすると経済的な不平等とは、基本的ケイパビリティの不平等を生むような経済的な不平等ということになります。
1998年、規範理論や貧困や社会的選択理論の研究が評価され、センはアジア人で初めてノーベル経済学賞を受賞しました。2001年、恐怖と欠乏からの自由というミレニアム・サミットの国連事務総長の要請を受け、人間の安全保障委員会が設立されると、緒方貞子元国連難民高等弁務官とともにセンは委員会共同議長になりました。緒方とセンによれば、同委員会は日本政府の発案によるもので、自民党の歴代の総理大臣(小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎)は同委員会にコミットメントしました(緒方貞子+アマルティア・セン「序」、『安全保障の今日的課題―人間の安全保障委員会報告書―』朝日新聞社、2003年)。現在も人間の安全保障は、日本政府(特に外務省)の外交政策の支柱の一つです。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/bunya/security/initiative.html
1988年、イエズス会系上智大学で開催された「国際シンポジウム」でイエズス会のアルぺ総長顧問だったジャン・イブ・カルヴェは、教育制度による再生産について次のように指摘しました。
教育制度は不正も『再生産』する傾向がある。すなわち、教育制度は不平等や差別を固め、永続化させる傾向があり、このことはあらゆる体制(社会主義同様、自由資本主義も)に当てはまる。キリスト教の大学、イエズス会の大学は、すべての者に対する機会均等というキリスト教の原則に基づいた教育制度の確立に真っ先に貢献すべきだ(ジャン・イヴ・カルヴェ[保岡孝顕訳]「イエズス会の正義推進の特徴―教育界において正義を推進するために―」、上智大学社会正義研究所編『正義に向かう教育』中央出版社、1989年、p.34)。
2015年、イエズス会日本管区はThe Promotion of Justice in the Universities of the Societyを邦訳し出版しました(イエズス会ローマ本部社会正義とエコロジー事務局[イエスズス会社会司牧センター監訳]『イエズス会の大学における正義の促進』イエズス会日本管区、2015年)。
http://ecosj-stream.ecojesuit.com/blog/tag/promotion-of-justice-in-the-universities-of-the-society/
正義の促進の焦点は、貧しい人間の尊厳の促進に置かれました。しかし、「大衆国家=福祉国家」のメリトクラシーの問題は考察されていません。また、“climb out”による疎外の問題への応答も欠如しています。更に各国、特に日本で生きるカトリックの“to be”の真実も分析されていません。
おわりに
日本のカトリック系学校の改革の一つのシナリオを提示します。それは能力、雑多で断片的な知識、真理・真実ではない知識(デマ≒マスコミやインターネットが浴びせるように流す実証/論証されていない多くの情報≒ソフトで世俗的な洗脳≒マニュピレーション)、「人間」や「社会」や「世界」が理解不可能なほど過度に細分化された役に立たない専門知識の“to have”の教育から、総合知や叡智(sophia[上智/英知/知恵]/W[w]isdom)による人格を前提にした“to be”の教育への転換です。それは“to be”の視点から“to do”を再定位する教育への転換でもあります。
“to be”の教育は、三つの日本の精神革命の課題を解決するものでもあります。しかし、南原のように「超主観的な絶体精神=神の発見」をその前提にするかは議論の余地があるでしょう。まず日本でそれを前提に出来るのかという問題があります。また、現代の「福音」は宣教(洗礼を受けさせること)を必ずしも意味しないということもあります。
国連は神に代わり「超主観的な精神=理性」を重視して来たし、ユネスコもそうです。
http://portal.unesco.org/en/ev.php-URL_ID=15244&URL_DO=DO_TOPIC&URL_SECTION=201.html
http://www.mext.go.jp/unesco/009/001.htm
国連もユネスコも「超主観的な絶体精神=神」を人類に強制することは基本的にしていません。
しかし、理性も地球環境破壊等の招来等のデメリットがあります。しかし、その問題に気付くのも、批判的理性や反省的理性です。それを真正面から否定する者は、少なくとも知識人の中には殆どいないでしょう。それを否定すると人類は真偽を区別、識別出来なくなってしまいます。そうするとリスクも大きくなるでしょう。
冷戦後、人権の普遍性を再確認した国連も、人権教育を重視しました。日本の外務省も国連の人権教育政策に積極的にコミットメントしています。外務省は、国内では兎も角、恐らく国際社会での日本のプレゼンスを高める為に、少なくとも国連ではそういう振る舞いをしています。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/kyoiku/index.html
そうすると日本の国家権力の内政と外交は、分裂している可能性もあります。日本の場合、大正期でもそうでした。
しかし、国連の場合、教育は「教育への権利」の「教育」です。それは人類にある程度啓蒙され理性的に生きることを要請するものです。それは人権自体が啓蒙主義の成果の一つでもある為です。人権は「無知蒙昧」な状態で生きることには余り寛容では無いと思います。勿論、国連もユネスコも完全な不寛容ではありませんが、完全な寛容でもありません。
カトリック系学校の改革を進める上で重要な手掛かりになるのは、イヴァン・イリッチの思想かも知れません。イリッチはカトリックの神父で第二バチカン公会議にも参加しましたが、その後、教会と対立し解職されました。しかし、その後、イリッチは現代世界の諸問題と対峙し、独自な思想を展開していきました。特に「脱学校化」論(Deschooling Society)や「ジェンダー」論(Shadow Work,Gender)や「自立共生(Conviviality)」論(Tools for conviviality)等は、世界的に影響を与えました。
日本でその影響を受けた者には、社会学者の鶴見和子もいると思います。鶴見は、新渡戸のパトロンだった後藤新平[伯爵]の孫で、新渡戸の愛弟子・鶴見祐輔の娘で、弟の俊輔同様に「思想の科学」同人で、1950年頃まで日本共産党員だったと言われている女性です(鶴見俊輔+上野千鶴子+小熊英二『戦争が遺したもの―鶴見俊輔に戦後世代が聞く―』新曜社、2004年、pp.291~292)。イリッチ同様に和子も西洋近代をモデルにした「近代化」論から離脱し、独自に「内発的発展論」へ向かいました。また、彼女は因果律的発想に支配された近代科学を超越しようとした南方熊楠の研究を「地球志向の比較学」と捉えて高く評価しました。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/asu/23.html
イリッチはバチカンより進み過ぎていたのかも知れません。