はじめに
米ソ冷戦終結直後の1991年、カトリックの教皇ヨハネ・パウロ二世は、社会教説『新しい課題』で、次のように指摘した。
よりよく暮らしたいと願うことは間違いではありません。間違っているのは、「あること、生き方」(being)よりも「持つこと、所有」(having)をめざすことが、よりよい暮らしにつながると決めてかかる生活様式であり、よりよく生きるためではなく、快楽を人生の目的とし、快楽のうちに人生を送るために、より多く持ちたいと願う生活様式なのです(教皇ヨハネ・パウロ二世回勅『新しい課題―教会と社会の百年をふりかえって―』カトリック中央協議会、1991年、p.77)。
今なぜ『新しい課題』再読か。
一つの「真理」を提示する正しい「保守主義」の考え方のモデルか?
「保守主義」
一般的には「保守主義」の思想的起源は、フランス革命に反対したエドマンド・バークにあるとされる。
日本の哲学者の三島憲一は、「保守主義」を次のように説明している。
保守主義とは常に自己の時代をなんらかの解体の時代と捉え、それ以前のものの固有の価値を自己の時代と次の時代のために救い出そうとする思想である。純粋に利害に基づいた現状肯定を除けば、それとしてまた革新的要素を持つこともあるという逆説も認められる(下線は引用者による)(三島憲一「保守主義」の頁、『岩波哲学思想事典』岩波書店、1998年)。
その上で、三島は「保守主義」を時系列的に五つに分類している。
①「旧保守主義」。
②「青年保守主義」。
③「制度論的保守主義」。
④「新保守主義」。
⑤「解釈学的保守主義」。
日本の「保守派」
日本には真面な「保守派」が存在しなかったとも評価されている。
しかし、1980年代以降の代表的な「保守派」の一人として、評論家の西部邁がいる。
西部は元々左翼だったが、転向し、1980年代以降、「大衆社会」や「マス・メディア」等を批判し始めた。
1993年、西部の「保守主義」は、「リベラル・マインド」を重視する「リベラリズム」として提示されたと言われる。
1950年代以降における丸山眞男の弟子である松下圭一や堀尾輝久の「大衆国家(福祉国家)」批判、ジョン・ロールズの『正義論』(1971年)以降のリベラリズムの展開とも比較検討する必要があるかも知れない。
しかし、今後の検討課題にする。
日本のカトリックの問題性
1960年代にヨハネ23世が第二バチカン公会議を開催し、教会の「アジョルナメント(近代化)」を目指した。
国連の世界人権宣言へもコミットした。
『現代世界憲章』では、愛を通した世界平和の基礎としての社会正義の実現を自らの使命とし、現代世界との関わりを重視した。
しかし、日本のカトリック教会では、改革は形式的には進められたが、精神的には改革は進まず「失敗」したと評価されている。
このように目に見える一大変化が日本の教会に見られるようになったが、その改善ないし改革、あるいは新たな機関の設置の理由および目的の啓蒙とその育成は不十分であったといえよう。なぜ改革されなければならないのかということが十分に司牧者にも納得されないまま現実に変化する実践に移ったため、その内容の真の理解には相当な時間を要し、また信徒のあいだでもの混乱も大きかった。一度試験的に試みられる事柄は、殆ど改善の余地のないほど習慣になってしまう。この説明の不十分さは、現在までその余韻を残している(ヨセフ・ハイヤール他[上智大学中世思想研究所翻訳/監訳]『キリスト教史』第11巻(現代に生きる教会)平凡社、1997年、p.420)。
「失敗」の原因としては、次のことが考えられる。
①1549年にカトリックが、イエズス会のフランシスコ・ザビエルによって伝道され、その後、禁教になり、独自な展開を遂げたこと。その後のバチカンによるバージョン・アップも十分に反映されて無い可能性があること? 殆どの日本のカトリックの「島国性」、「鎖国性」?
②日本のカトリック受容(「インカルチュレーション(受肉/土着)」)自体に「失敗」し、多くの場合、「信仰」では無く「生活習慣」に止まること。あるいは、「勇気」や「勇敢さ」の欠如による真の「人生問題」のすり替え、誤魔化し、道徳的正当化、本当にニーチェが言う「ルサンチマン」になっている可能性もあること? 「異端」、「邪教」等?
③殆どの「日本人」のカトリックは、第二バチカン公会議の精神を理解出来ず、関心も無かったこと。
私たちの小教区には「ロザリオ、焼肉、バザー」のムードがあります。若い人も教会に来ますが、この三つを発展させていこうというムードしかない。私が公会議の文書などをもっていると、教会の中で変人扱いされてしまう(カトリック東京教区生涯養成委員会編『講演集 第二バチカン公会議と私たちが歩む道』サンパウロ、1998年、p.56)。
④異質な他者との関わりを断つ内向き志向。同質的な「身内」以外とは関わらない排他性、閉鎖性? 他者との「共生」の困難/不可能性?
⑤自らが「保守」すべきキリスト的価値を十分に理解せず、他者にも十分に説明出来ないこと? 理解や説明の「他人頼み(他力本願)」や「主体性」の欠如?
⑥人権が前提にする「理性(reason)」等を搭載した「人格(human personality)」の未発達、「不在」、「非在」? 反「人格」、反「啓蒙」、反「理性」、反「教育」等?
「カトリックと政治」の関係や文脈の差異ー日・米・欧ー
イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズは、1994年の『左翼と右翼を超えてーラディカルな政治の未来ー』で、次のように指摘している。
多くの大陸のヨーロッパ諸国では、例えば、“conservatism(保守主義)”は、カトリシズムの政治的影響を暗示する。キリスト教民主党やそれらを育んで来たその知識影響力は、時々、一般的には英語圏の諸国の左翼政党とだけ結び付いた展望や政策を支持して来た(Anthony Giddens,Beyand Left and right:The Future of Radical Politics,Polity,1994,p.22)
ギデンズの指摘は、「カトリックと政治」の関係や文脈は、日・米・欧によって大きく違うことを示唆する。
恐らく多くの「日本人」にとって、ヨーロッパのカトリックは、殆どの「日本人」のカトリックを通しては認識、理解不可能だろう。
恐らく殆どの「日本人」のカトリックは、ヨーロッパのカトリックへの「日本人」の「偏見」の原因になっている。
一種の「屈折効果」がある可能性がある。
その背景の一つには、「宗教と政治のトーク=タブー」という日本の特殊事情もあるかも知れない。
ヨハネ・パウロ二世の社会教説『新しい課題』
ヨハネ・パウロ二世は、旧共産圏のポーランド出身者の教皇である。1967年に枢機卿に指名され、1978年に455年ぶりにイタリア人以外で教皇に選任された。
冷戦終結直後の1991年、ヨハネ・パウロ二世は社会教説『新しい課題』を発布した。
この際、日本人の経済学者の宇沢弘文がアドバイザーになった(宇沢弘文+内橋克人『始まっている未来―新しい経済学は可能か―』岩波書店、2009年、pp.91~94)。
宇沢は、ノーベル経済学賞クラスの経済学者と言われ、シカゴ大学や東京大学等で教鞭をとり、文化勲章も授与された。
https://kotobank.jp/word/%E5%AE%87%E6%B2%A2%E5%BC%98%E6%96%87-175950
シカゴ大学時代には、「市場原理主義」の経済学者ミルトン・フリードマンと同僚だった。
『新しい課題』では、「保守」すべき価値や「改革」すべき点がかなり明確に述べられている。
おわりにかえて
次の点で「日本人」にとっても『新しい課題』は読む意義があるかも知れない。
①カトリックではない経済学者の宇沢がアドバイザーとして加わった社会教説なので、世俗的にも理解し易いこと。
②宇沢は、ネオ・リベラリズムより「ずっと過激で、先鋭的な」フリードマンの「市場原理主義」には、「一貫した経済学の考え方というものが見当た」らないと評価していたこと(例えば、宇沢弘文『人間の経済』新潮新書、2017年、p.49)。
③二―チェ的な意味での「ルサンチマン(奴隷道徳)」とも言い切れない、一つの「真理」として暫定的に評価し得る「保守」すべき価値を「保守」する正しい「保守主義」の考え方の一つのモデルあるいは参照基準を提示しているかも知れないこと。しかし、「真理」に触れるには、「日本人」のカトリックを媒介させずに、バチカンやその公文書に直接アクセスする必要があるかも知れない?
④冷戦後、旧社会民主主義ともネオ・リベラリズムの道とも異なる「第三の道」を目指した、新労働党のトニー・ブレア元イギリス首相も、その後、カトリックに改宗したこと。
https://www.afpbb.com/articles/-/2328887
⑤「日本人」とも関係があり親しみを感じ易いかも知れないこと。
以上の理由によって、筆者は『新しい課題』を再読しつつある。