現代の「メシア」の使命ー普遍と多様性/差異の対立の解決ー

はじめに

西洋近代では普遍的価値が重視された。第二次世界大戦中の国連憲章で、国際連盟規約では無視されていた、近代的価値としての普遍的価値、普遍的価値としての人権が復権し、1948年に世界人権宣言として再結晶化された。その後、人権は法的拘束力が付与され、人種、女性、子ども等の「差異の権利」も承認された。

冷戦後の1993年、国連の世界人権会議で人権の普遍性、相互依存性、相互不可分性が確認された。だがその直後、人権の普遍性に対し「アジア的価値」論が提唱された。当初から普遍と多様性/差異は対立した。

また、「ポスト・モダン」も人権の普遍性を失墜させる効果があった。しかし、非「ヨーロッパ人権文明」の日本の場合、「ポスト・モダン」は「プレ・モダン」でもあった。しかし、その後、日本でも「普遍的価値としての近代的価値」論は復権しつつあるが、普遍と多様性/差異の対立は解決されていない。

現代の「メシア(救世主)」の使命は、この対立を解決することではないかか。

現代人権の問題点

現代人権は普遍的価値として承認されているが、複数の原理上の問題群も存在する。普遍と多様性/差異の対立普遍と多様性/差異の対立も、その一つであるが、その全てではない。

また、人権のリストは長大化、複雑化、難解化し、整合性も欠如し、一つの「ストーリー」として理解困難化し、普遍的価値のシェアが困難化する現実も生み出している。

日本の場合

日本の場合、第二次世界大戦後の一時期を除き、人権促進の「教育」、人権教育の実践は様々な意味で困難化して来た。恐らく冷戦後も大きな変化は無い。1999年、人権擁護推進審議会答申は、人権に関する国民の無知を指摘した。同じような指摘は、堀尾輝久東大名誉教授もしている。

義務教育も含め学校教育の教育は、人権を前提にした「教育」とは評価し難い。「教育」の重要な条件の一つは、十全な“human personality”の「発達(development)」に方向付けられている点である。

“personality”には色々な意味がある。日本語では「人格」や「個性」や「人柄」等と訳される。「人格」と「個性」では意味や語感が違うように、一つの日本語で訳すと本来の“personality”の意味の複雑性や重層性等の全体像を十分に表現、理解出来なくなる。また、それが平行線を辿る不毛な論争の諸原因の一つにもなり、日本に必要な“developmet”に関する重要な変化の発生の困難化をもたらし得る。

日本の学校教育のターゲットは、十全な“human personality”の「発達」に必ずしも無い。多くの場合、暗記中心の知識の大量な「所有」が重視され、“human personality”それ自体の十全な「発達」は重視されていない。

受験と関連付いた偏差値教育(としての受験エリート教育)は、特に後者では無かった。1980年代の「東大医学部問題」はそれを象徴している。堀尾によれば、東大広報委員会の『東大広報』(1987年12月7日)は、その問題を次のように指摘している。

高校で成績がずば抜けて良いと、先生や親の強い勧めで、本人の意志に関係無なく理Ⅲを受験する話はよく耳にする。最近の学生は幼稚化しているといわれるが、親や先生の言うことには素直な反面、主体性がないので適性がないまま理Ⅲー医学部ー医者というような、つぶしがきかない袋小路にはいってしまうと、やる気を失って、勉強はしない、試験には通らない、授業には出ないの悪循環で、社会から脱落していく悲劇が始まるのが通例のパターンのようだ(堀尾輝久『教育入門』岩波新書、1989年、p.191)

偏差値教育は、“reason”の発達を阻害し、“reason”による自分の人生に関する合理的識別能力を行使する能力を喪失させるリスクがある。

人権基準を採用すれば、真理や善等の普遍的価値を“reason”や“conscience”や友愛の精神をもって自発的に識別する能力を十全に発達させる「教育」が必要である。

しかし、現実の日本の「ビジネスとしての教育」は、人権基準から合理的根拠を基礎に構成されたものでは必ずしもなく、その教育の消費者に対して普遍的価値との関連から「商品の質」が説明されず効果も証明されていない。その点で堀尾の「教育の商品化」論には、現在もある程度妥当性がある。

また、高等教育の価値も人権が前提にする「教育」の視点から合理的に編成されていいることを普遍的価値との関連付けて合理的根拠を基礎に必ずしも証明されていない。それはその質を伴わない量的なユニバーサル化は、「教育」の普遍化と一致しないことを意味する。

また、専門知識は過度に細分化され、人間や社会や自然の全体像を総合的に捉えることが困難化している。そこから人権等の普遍的価値との関連の中で、総合知、教養、叡智等が必要とされる。

しかし、多くの場合、それらの教育は自称に止まる。明確に概念規定した上で合理的根拠を基礎に証明されていない。その結果、そられは恣意の強制としての側面が消去されていないという難点も持つ。換言すれば、自己中心主義や自文化中心主義(エスノセントリズム)の難点がある場合もある。自己中心主義の中には、主観的には脱自己中心主義を重視したり、自らはそういう価値を重視していると自称しているが、客観的には極めて自己中心主義的で、「誤認」、「錯覚」、「倒錯」に陥りっている場合もある。

中には“reason”の存在が確認出来ず、世界を主観的に感情的にしか認識出来ない、あるいは外面的にはそうしか認識出来ない人間もいる。恐らくその事例としては、人権や普遍的価値や近代的価値との整合性が全く無く、大幅に逸脱している(しかも当人は逸脱を“reason”を使用して全く認識せず、「逸脱してない」と自らを継続的にイメージし続ける)「日本人」のカトリックがある。

その存在は、極めて理想的な形で、ある意味での日本の純粋培養型「社会的逸脱者」の問題性や応答の困難性や不可能性、「マージナル・マン」の“climb outの結果としての完全で純粋な「疎外」を示唆する。それは喜劇性と悲劇性の両義的な二面性を備える。

ある意味で「他者性」が完全に貫徹された、日本型の究極的「他者」の事例の一つと言える。しかし、その実在は、合理的根拠やエビデンスを示さずに「差別、偏見」や「お互い様」や「誤解」等と主張し続ける可能性もあり得る。その場合、自己中心的、自己都合的に構成された、根拠の無い架空の「ストーリー」の他者への強制無しに存在出来ず、共生や共存は不可能化する。根拠無き「架空世界」の中でしか生きられなくなっている、実在する人物の問題。それはユネスコの「文化的多様性」の承認の限界も容易に超越する。つまりユネスコも理論的には承認不可能な、究極的ハード・ケースを構成する。それは「(ヨーロッパ人権)文明人」では無いことを意味する。一つには、人権を適用出来ない「日本人」問題。

“reason”の不在仮説は、一つの専門分野だけで証明するのは難しいかも知れない。その場合、人文・社会・自然科学を動員し学際的総合的総合人間科学的に証明する必要がある。しかし、現在はヒトゲノム研究が急速に進展している。ヒトゲノム研究だけで“reason”不在仮説が証明可能なのかは不明である。その分野の最先端の研究成果を参照する必要がある。

しかし、ヒトゲノム研究は、所謂「差別」と自称、他称されて来たものを、ヒトゲノムの差異を基準にした合理的規範的な「区別」へ変化させるという説は20年以上前から存在する。

所謂「被差別部落」出身者を想起される。「差別」の社会学者の福岡安則埼玉大学名誉教授は、「被差別部落」出身者は「被差別部落」内部では「差別」されないが、外部へ“climb out”すると「差別」されると証言していた。もしこの証言が妥当性を持つ場合、近代イギリスの「労働者階級」を念頭に置く、政治学者コールの“climb out”説が、日本でも極めて完全で理想的な形で妥当する集団や個人が実在した/現在もすることを示す。

しかし、彼等の実在や実存が、日本型の究極的「他者」と一致するか否かについては、間接的根拠はあるが、合理的で直接的な根拠やエビデンスは全く無い。

人権基準の「教育」への反発

日本のユネスコのレベルや次元でも、人権基準の「教育」への反発は存在する。日本のユネスコは、ユネスコ憲章の全文の冒頭の一文だけを過度に強調する傾向が強く、全文全体を通してそれを位置付け評価する姿勢が著しく不足している。

その結果、「心の教育」の極端で過度の強調、社会正義とも密接に関連する人権に適う客観的で理性的な世界との関係性の無視という傾向を生み出している。

こうした傾向は、比較文明学者の服部英二の「通底」論を基礎にした「地球倫理」論にも妥当する。服部は普遍的価値観や普遍主義的「人間」観をより多様性や差異を重視したものへ変換しようとしている。

服部はユネスコ事務局長顧問も歴任し、ユネスコにも影響を与える立場にあるし、実際に影響を与えている。しかし、以前、人権の普遍性との整合性は、一つの問題であり続けている。2000年以降、ユネスコも文化的多様性の尊重の重視に傾斜しつつある。世界遺産政策もその一つのサインである。しかし、ユネスコ自身は、人権の普遍性とバランスを取ろうとはしているがある程度曖昧さもある。

普遍と多様性/差異のバランス

1960年代以降、堀尾はマルクスの思想を手掛かりに、「人権としての教育」思想を展開した。また、同時期から堀尾は「子どもの権利」を重視し、子どもの権利条約を支持し、その日本での定着にも実践的にコミットしている。

1989年、冷戦が終結し、現存した社会主義体制の多くは崩壊し、市場経済がグローバル化した。また、現存する社会主義体制もグローバル市場経済との関係の中で変容を遂げた。例えば、中国の国家市場社会主義。

マルクスの思想の正当性や正統性等は世界的に失墜した。現代では「今なぜマルクスの思想なのか」を学問的に丁寧に説明する必要がある。もし合理的に説明出来ない場合、個人の思想や内心の自由等の精神的自由の行使の政治的な集合や組織化に止まり得る。

冷戦後期の1976年、既に社会心理学者のエーリッヒ・フロムは、現存した社会主義体制は、“well-being”を促進に貢献していない点を指摘していた。しかし、フロムは初期マルクスの人間学、特に疎外論の影響を強く受け、ヨーロッパの中世のキリスト教世界の存在(to be)論の成果を再評価し継承しつつ、近代の成果を統合しようとした。

フロムはユダヤ教を棄教したが、一神教的価値を否定し、無神論を強制しようとはしなかった。しかし、ユダヤ教やキリスト教等のような一神教の伝統の無い場合、フロムは仏陀からマルクスに至る「ヒューマ二スティックな宗教性(humanistic “religiosity”)」への「改宗」が必要だと考えた(Erich Fromm,To Have or To Be,Bloomsbury,2012,p.175,pb.ed..1st.ed.=1976)。フロム自身は、こうした宗教性の中で“to be”の実現を目指す「ラディカル・ヒューマニズムとしての社会主義」を標榜しつつ死去した。しかし、フロムは人権の普遍性との関係性は説明し無かった。

1970年代以降、フランスの社会学者ピエール・ブルデューは文化的再生産論をリードし、日本にも影響を与えた。ブルデューは、冷戦終結直前の1989年に初来日した時、堀尾とブルデューは鼎談で対話し、学問的、人間的に交流をスタートさせた。1990年代以降、マルクス主義や社会主義に対し一定の距離がある、ブルデューの社会学を軸にした人間学は、日本でも「超領域の人間学」と呼ばれ注目された。

その後、ブルデューはネオ・リベラリズム批判を展開し、「新しいヨーロッパ啓蒙主義」の可能性の模索中に死去した。

筆者も数回目に来日したブルデューとパーティーで会い、少しだけ人間的に交流した。穏やかな笑みを浮かべる質素な農夫のようにもイメージされたブルデューは、奇妙な文字を色々書いて筆者を楽しませようとする、ユーモア溢れる陽気なフランスの知識人だった。筆者は直ぐに大好きになった。

社会学者のブルデューは、基本的に規範と事実を統合しようとはしなかった。ブルデューは、規範研究を世界的に推進した、アマルティア・センにも世界的な知的連帯を呼びかけたが、管見の限りでは、センの規範理論を受容し、それを自らの人間学と統合させようとしなかった。

日本の社会統合/国民統合の視点から

公式の日本国民統合原理は、血統原理を基準とする象徴天皇制である。血統原理は、差別原理でもある。その結果、象徴天皇制による厳格な現実の全体的な日本国民統合の理論的帰結は、国民の総「被差別者」化でもある。

主な非/準公式の国民/社会統合原理の一つは、「メリトクラシー(能力原理)と結合した公正な機会均等原理」であるが、「東大医学部問題」に象徴されるように、十全な“human personality”の「発達」を阻害する側面もある。

(基本的)人権や国際人権も国民/社会統合原理の一つであるが、日本では殆ど定着せず、差異や相違ある複数の人々を効果的に統合させる効果が実質的には余り無い。

その結果、多くの国民や人民は共生困難で、棲み分け型共存の中で生きている可能性はある。過度な棲み分けは、社会/国民統合や国民国家の維持の困難化を招来する。納税等の国民の義務を積極的に放棄する国民も現れ、一体性を喪失し、分離独立運動も招来する可能性もある。しかし、現状では国民国家以上の「コミュニティ」の実現は困難とも評価される。実際、堀尾も国民国家の維持を支持している。

そうすると何等かの統合は必要になる。その場合、「統合(unity)」と「包摂(inclusion)」の異同が問題になる(「英文対訳 日本国憲法」、高見勝利編『あたらしい憲法のはなし 他二篇』岩波現代文庫、2013年)。だが、現在の日本ではその二つは厳密に

概念規定して使用されず、曖昧さを残し、十分で丁寧な議論も存在しない。それは日本の唯一の「公共放送」としてのNHKにも妥当する。

目の前にある主な道

①人権の道。

②マルクスの道。例えば、フロムの「ラディカル・ヒューマニズムとしての社会主義」。

③リベラリズムの道。例えば、ジョン・ロールズやアマルティア・セン。しかし、この道は人権と一致しないは互換性がある。

ロールズの『正義論』は、人権の哲学的基礎付けとしての側面がある。

また、センのケイパビリティ・アプローチは、UNDPの「人間」「開発」や「人間の安全保障」や現代「クオリティ・オブ・ライフ」の理論的基礎(の一つ)である。「人間の安全保障」は、現在、行政権力の一つである外務省に託された、日本の外交政策の支柱の一つでもある。

少なくとも1999年以降、センは市場経済を正当化、正統化しつつ、アダム・スミスの『道徳感情論』も評価し、グローバル化した市場経済の公正化論を支持した。また、アジア人(インド人)であるセンは人権に着目し、西洋文明と東洋文明の対話を促進しようとした。

④今のネオ・リベラリズムの道。

他にイギリス労働党型「第三の道」もある。「第三の道」は、旧労働党の社会民主主義やサッチャリズム(ネオ・リベラリズム)とは異なる道を意味するが、政治学者等によっては「第二の道」としてのネオ・リベラリズムと大差無いと評価されている。

おわりに

現代の「メシア」は、地球に(再?)降臨して、どの道を“gospel”として示すか。“gospel”とは、「福音」、「教義」、「真理」等を意味する。

あるいは「メシア」は、“gospel”を預言者に神託するのか。『我と汝』(1923年)で人間存在原理を考察し、キリスト教の聖書もドイツ語に新訳した、ユダヤ系の哲学者マルティン・ブーバーは「20世紀の預言者」とも言われる。政治哲学者のハンナ・アレントも、ブーバーを、恐らくヨーロッパでは「疎外」されて来た、ユダヤ人にユダヤ人としてアイデンティティを持つことの大切さを教えた人物として高く評価した。

恐らくブーバーの哲学は、フロムの一つの思想的源泉でもある。ブーバーとフロムは自由ユダヤ学院で同僚であり、思想的影響関係があったろう。

では「21世紀の預言者」とは誰か。いるのか、いないのか。「メシア」はどのような預言を信託するのか、しないのか。

ロールズはプロテスタントである。不確かな情報だが、ロールズの『正義論』はキリスト教を暗黙の前提にする。

しかし、アメリカの場合、独立宣言自体がキリスト教を基礎にし不可分な関係にある。そうするとある程度必然的な帰結とも評価出来る。日本でも世界人権宣言を価値として追求することを宣言しているICUは、キリスト教(恐らくプロテスタント=西洋近代)系大学の一つである。

また、人権や普遍的価値は、キリスト教を前提にしないと効果的に機能しないという立場もあるかも知れない。しかし、人権の哲学宗教的基礎付けは、極めて論争的で意見は一致していない。

いずれにせよ、ロールズは既に死去している。

センは存命中だが、無神論者である。

難問中の難問である。

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