はじめに
1962=1971年の博士論文で、福岡県北九州市出身の教育学者である堀尾輝久は、「大衆国家=福祉国家」のメリトクラシーの問題をブレイクスルーしようとしました。その後、堀尾は(学歴)エリート「冷酷化」論を展開しました。
1980年代の堀尾はネオ・リベラリズムに抵抗し、「人権としての教育の公共性」論を展開しました。1989年、フランスの社会学者ピエール・ブルデューが来日した時には、日本側の受け入れ窓口になりました。ブルデューは文化的再生産論で知られるコレージュ・ド・フランス教授でした。当時、堀尾はスタティックな再生産論者のブルデューに変化の兆しを読み取っていました。
その頃、冷戦期に堀尾を中心にした戦後教育学と対抗関係をなしていた教育社会学も、ブルデューの文化的再生産論を受容し始めました。その一人は新潟県佐渡島育ちの当時京都大学助教授だった教育社会学者の竹内洋です。
2018年段階では、竹内は関西大学東京センターのセンター長の地位にあります。
竹内の出身地については諸説あります。一つは東京都出身説、もう一つは新潟県加茂村出身説です。
竹内自身は、東京都出身と自称しています(竹内洋「鉄のトライアングルが崩れた 進歩的文化人、岩波、そして朝日の凋落」、『中央公論』第129巻第11号、中央公論新社、2014年11月)。
また、竹内は「栄光⇒挫折」というストーリー展開を好むストーリーテラーでもあります(例えば、竹内洋『日本の近代』第12巻(学歴貴族の栄光と挫折)中央公論新社、1999年)。
ここでは竹内の世界をブルデューの文化的再生産論受容を手掛かりに確認します。その際、次の文献を使用します。
①竹内洋「キャンパスの“金魂巻”」、『大学進学研究』第14巻第4号、1990年。
②竹内洋『立志・苦学・出世―受験生の社会史―』講談社現代新書、1991年。
③竹内洋、前掲「鉄のトライアングルが崩れた 進歩的文化人、岩波、そして朝日の凋落」(2014年11月)。
なお敬称は省略します。
1.竹内洋「キャンパスの“金魂巻”」(1990年)
「ハビタゥス」論
あの人は上品だとか田舎者だ、とかいうことがある。このときわれわれは個々の行為を言及してはいない。個々の行為を処するシステムを指示している。こういう行為の基礎にあるシステムをハビタゥスという。ハビタゥス(habitus)とは状態や慣習のことである。「型」と訳す人もいる。
ハビタゥスは身体化された文化の謂であるから付け焼き刃がきかない。もともと上品でない人が急に上品ぶってもどこかそぐわない。お里が見破れてしまう。ハビタゥスは家庭や学校で長い時間をかけて無意識裡に形成されてしまう。行為の基礎にある血肉化された持続性のある性向である(同上書、p.12)。
「大衆大学の悲喜劇」論
大衆大学となった現代社会においても、ごく一部ではブルジョア文化をキャンパスのサブカルチャーにする大学が残存する。ブルデューが描くスノビズムの悲劇(喜劇)は東大や京大などのキャンパスには多少残っている。高校時代は模擬試験と参考書のガリ勉的世界しか知らなかったのに、大学生になるとポスト構造主義通などを気取ろうとし、必死な努力をする学生がこれである。フランス現代思想という教養主義への邁進が、変形された立身出世主義というミジメさを露呈してしまう悲喜劇。かれらはブルデューのいうプチブルの悲喜劇の世界をなぞっているのだ(同上書、p.13)。
「地方の公立高校と都会の私立高校(ミッションスクール)」論
たとえば地方の公立高校では模擬試験の成績発表で一番にのるのがかっこいいかもしれない。やや事態を漫画化していえば、読書といえばデル単、シケ単の世界だったかもしれない。都会の有名私立高校では音楽や文学などのそれもかなりマイナーな作品の鑑賞力が競われたりする。つまり前者はダサイ文化であり、後者はソフィスティケートされた文化である。私立のミッション系の高校と公立高校ではこれまた文化が異なっている(同上書、p.14)。
竹内は「都会の有名私立高校では音楽や文学などのそれもかなりマイナーな作品の鑑賞力が競われたりする」と断言しますが、エビデンスを全く提示していません。
「都会人と田舎者」論
さらに育った地域もハビタゥス形成にかかわる。東京の山の手育ちと、わたくしのように新潟県佐渡育ちとでは、都会人と田舎者でこれは最初からセンスが異なっている。(中略)(私立・都会出身と公立・地方出身では――引用者による注)それこそお互いに「世界が違う」ということになってしまう(同上書、p.14)。
「お譲さん大学」論
逆に「お譲さん」といわれたいばかりに無理をしてお譲さん大学に進学する場合も少なくない。この場合キャンパスの外ではお譲さん大学の威光効果の利点を享受できるとしても、キャンパスでは「正当なる」文化からの距離がある者たちはキャンパスでなにかと劣位に感じる悲喜劇がうまれる(同上書、p.15)。
「キャンパスの悲喜劇や文化葛藤」論
むろん大学そのものがあらたなハビタゥスを形成するが、いずれも過去のハビタゥスという土壌のもとカレッジ・ソシアリゼーション(大学での人間形成)がなされる。こうして、いかにも立教卒のような人がいる反面、エッそれでも立教という人もでることになる。こうしたキャンパスのストレートならざる人間形成、あるいは悲喜劇と文化葛藤の各論はおもしろいのだが、もはや紙数は尽きた。道具をそろえたので読者の読みを期待してひとまず筆を擱くことにする(同上書、p.15)。
小括
竹内はハビタゥス論を全く実証的に論じていません。エビデンスは一つも提示されていません。参考文献もゼロです。竹内の「主観」に過ぎない可能性があります。
竹内の「立教(大学)」観の妥当性も検討する必要があります。
2.竹内洋『立志・苦学・出世―受験生の社会史―』(1991年)
「教養主義という虚構」論
社会的距離が大きいからこそ慇懃である。しかし日本の高等教育はブルジョワを基盤にしていたというよりも、もっと貧しい階層(プチブル)の子弟を基盤にしていた。かれらは身分集団としての相続カリスマを欠いていた。かれらは必死に正統なる文化に同化し、民衆と差異化しなければならなかった。旧制高校はそういう同化=差異化戦略である。旧制高校のハウプラウ文化である教養主義を額面どおり読んではならない。(中略)近代日本の正統なる学歴エリートそれ自身うさんくさい存在(プチブル)だった。かれらは自らのうさんくささを専検出身者に投射することによって、自らを差異化していった。慇懃の戦略ではなく、差異化戦略が行使されなければならなかった。そのかぎり、専検出身者へのスティグマ化の直接的犯人(スティグマタイザー)は、貧しいが正系の学歴経路を踏んだ人々だった。しかし真の仕掛け人は、西洋のブルジョワ文化を正統なる文化とする象徴的暴力生産装置=高等教育(旧制高校)だった(竹内洋『立志・苦学・出世―受験生の社会史―』講談社現代新書、1991年、pp.164~165)。
小括
竹内はブルデューの文化的再生産論を日本の過去の旧制高校に適用しようとしています。恐らく戦前の日本であれば、文化的再生産論はある程度妥当するという仮説があったのでしょう。実際、1990年に竹内自身、次のように述べています。
大衆大学のいまの日本にはそのままではあてはまりがわるい。しかし、ブルデューの論説は、戦前の旧制高等学校のキャンパス文化にはかなりあてはまりがよい(前掲「キャンパスの“金魂巻”」、p.12)。
しかし、戦前の旧制高校へのブルデューの文化的再生産論の適用も余り実証的ではありません。竹内が使用している資料は、中野孝次の自伝的小説です(中野孝次『苦い夏』河出書房新社、1980年等)。つまり「フィクション」です。
通常、学問界では「フィクション」を実証研究の資料として使用しません。書かれていることが「真理」あるいは「事実」かどうか分からない為です。
しかし、「フィクション」や絵画等の芸術作品も、実証研究の資料として使用される場合もあります。
その一つの例は、フランスのフィリップ・アリエスの「子ども」観に関する社会史研究です。
しかし、アリエスも人口動態等の客観的資料を基礎にした上で、そのような芸術作品も資料として使用しました。
しかし、竹内の場合、そうした努力無しに、「フィクション」を資料として使用しています。事実の場合、竹内の主張は、「主観」や「印象論」の域を出ません。
3.竹内洋「鉄のトライアングルが崩れた 進歩的文化人、岩波、そして朝日の凋落」(2014年11月)
鉄の三角形が奏功するのはインテリという表象の収益率(威信や矜持という収益)がよいときである。教養の民主化が教養の収益率を低下させるように、インテリの大衆化はインテリという表象の収益率を低下させる。インテリの大衆化の進行と収益率の関係は、ねずみ講のようなところである。講の参加者がふえれば利回りが悪くなり、やがて破綻する。全共闘運動の中で進歩的教授を代表格の丸山眞男東大教授には、「ヘン、ベートーベンなんかききながら、学問しやがって」「そろそろなぐっちゃおうか」と罵声が浴びせられた。知性主義は、知の権威主義という象徴的権力と象徴的暴力(「そんなことも知らないのか」)を随伴するから、反知性主義と密接不離の関係にある(竹内洋、前掲「鉄のトライアングルが崩れた 進歩的文化人、岩波、そして朝日の凋落」、p.48)。
「象徴的権力」も「象徴的暴力」もブルデューのタームです。
竹内は「象徴的暴力」を「そんなことも知らないのか」と説明しています。
しかし、正しい説明ではありません。正しくは「象徴的暴力」とは恣意的な権力関係に基づく(「真理」ではなく)「文化的恣意」の強制を意味します。
およそ教育的働きかけ(AP)は、恣意的な力による文化的恣意 arbitraire culturel の押し付けとして、客観的には、ひとつの象徴的暴力 violence symbolique をなすものである(ピエール・ブルデュー&ジャン=クロード・パスロン[宮島喬訳]『再生産』藤原書店、1991年、p.18。原書は1970年出版)。
竹内は全共闘運動のエピソードもエビデンスが全く示していません。
また、竹内は「新聞記者になりたいと思って、大手新聞社を受験したが失敗した」と証言しています(竹内洋『革新幻想の戦後史(上)』中公文庫、2015年、p.199)。
そうすると『中央公論』に発表したこの文章も「真理」あるいは「事実」なのかどうかよく分かりません。
また、執筆の動機もよく分かりません。
なお現在、『中央公論』を出版しているのは、読売新聞社の傘下にある中央公論新社です。
竹内の言説は、「イエロー・アカデミズム」である可能性もあります。
そうするとジャーナリズム界での力関係や党派性や資本関係等も考慮する必要があるかも知れません。
おわりに
竹内のブルデュー文化的再生産論受容は、学問的と評価するのが難しいものです。「主観」や「印象論」の域に止まっている可能性があります。
そうすると竹内が生産する「文章=表象」自体が、竹内自身のハビトゥスを露わに示しています。
この竹内の非学問的とも言えるハビタゥス論を大学の学生文化論へ展開させたのは、カトリック=イエズス会系上智大学にいた東大系教育社会学者の武内清です。例えば、武内清編『学生文化の実態、機能に関する実証研究』科研報告書、1999年。武内は東大時代の清水義弘の弟子です。
彼等の著作は、「米ソ冷戦終結前後に日本の教育社会学者が文化的再生産論をどのように受容・展開したのか」、「教育社会学者が日本の大学で何をしているのか」を証明する上で重要な資料です。
なお竹内は「大衆」論、大学や学問や大学教授の「下流化」論も展開しています。
例えば、次のような著作があります。
竹内洋「人文社会科学の下流化・オタク化と大衆的正統化 」、学術の動向編集委員会編『学術の動向』第12巻第4号 、日本学術協力財団、2007年4月。
竹内洋『学問の下流化』中央公論新社、2008年。
竹内洋『大衆の幻像』中央公論新社、2014年。
竹内洋「大学教授の下流化」、『中央公論』第 129巻第8号、中央公論新社、2014年8月。
しかし、竹内の「大衆」観や「下流化」論の内容の解明は、今後の課題にします。