はじめに
日本では人権を明治時代に自由民権運動が、大正時代には大正デモクラシーが定着させようとしました。
1930年代以降、日本は人権等の西洋近代的価値に反発し、太平洋戦争を始めましたが、ポツダム宣言を受諾し敗戦しました。同宣言には、日本政府は国民間の「民主主義的傾向」を「復活強化」に対する「一切ノ障礙」を除去し、「基本的人権」の尊重は確立されるべきこととありました。
戦後、国家権力も人格の尊厳や自由を核とする戦後民主主義を定着させる為に啓蒙を展開しました。しかし、現在、自民党は憲法を改正しようとしています。そこでここでは、戦後民主主義の原点を、国家権力による啓蒙を手掛かりに確認します。
内閣[法制局閲]『新憲法の解説』(1946年)
第二章 戦争の放棄
日本が国際連合に加入する場合を考えるならば、国際連合憲章第五十一条には、明らかに自衛権を認めているのであり、安全保障理事会は、その兵力を以て被侵略国を防衛する義務を負うのであるから、今後わが国の防衛は、国際連合に参加することによって全うせられることになるわけである(高見勝利編『あたらしい憲法のはなし 他二篇』岩波現代文庫、2013年、p.103)。
第三章 国民の権利及び義務
民主主義政治の要点は、国民の生まれながらにしてもつ権利、基本的人権を尊び、人格の尊厳と自由を重んずることによって、すべての人に幸福な生活を営ましめんとするところにある。それで、近代民主主義が第一に要求するところは、国民の基本的人権と自由とを保障するにありとされるが、これは一面、義務と責任とを伴なう。すなわち人はその権利を保障されてさらに人格の覚醒を促し、その反省によって各個人の義務と責任感の充実を招き、よりよき民主主義政治が発達することになる。この二つの意味から、人格の尊重と自由の保障とは、民主主義政治の大いなる原則をなすものである(同上書、pp.105~106)。
個人の人格が完成された国民の場合では、権利の裏づけとしての義務の存することは当然とされるのであって、義務条項の少なさを批評するのは、未だ完成された国民の自覚が不足しているからだともいえよう。
新憲法第十二条では、正に、その点を述べている。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民す、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」(同上書、p.109)。
憲法普及会『新しい憲法 明るい生活』(1947年)
新しい日本のために(芦田均憲法普及会会長)
日本国民がお互いに人格を尊重すること。民主主義を正しく実行すること。平和を愛する精神をもって世界の諸国と交りあつくすること。
新憲法にもられたこれらのことは、すべて新日本の生きる道であり、また人間として生きがいのある生活をいとなむための根本精神でもある。日本人の進むべき大道をさし示したものであって、われわれの日常生活の指針であり、日本国民の理想と抱負とをおりこんだ立派な法典である(同上書、p.3)。
人間はみんな平等だ
人はだれでもみんな生まれながらに「人としての尊さ」をもっている。この尊さをおかされないことが人として最も大切な権利であろう。新憲法は何よりさきに、まずこの権利を与えてくれる。(第十一条)
そして私たちの生命や自由を守り、幸福な生活ができるように、政治の上でもいろいろと考えてくれるように約束させている。新憲法はこの考えをもととして十分な自由と権利を与えてくれたのである。(第十三条)(同上書、p.11)
義務と責任が大切
私たちは新憲法によって、ずいぶん多くの自由や権利を与えられたが、一生懸命努力して、これを大切に守ってゆく義務がある。自由といっても他人の迷惑も考えずに勝手気ままにふるまうことではない。権利だからといって無暗やたらにこれをふり廻してはならない。私たちは自分の自由や権利を、いつでもできるだけ多くの人々のしあわせに役立つように使うことが大切である。(第十二条)(同上書、p.12)
自由のよろこび
「自由」とはいったい何であろうか。一口にいえば、自分の良心に従って生きることである。長い間私たちには、その自由さえも制限されていた。私たちは何とかしてもっと自由がほしいと願っていた。いまその願いが果たされたのである(同上書、p.13)。
文部省『新しい憲法のはなし』(1947年)
基本的人権
人間は、草木とちがって、ただ生きてゆくというだけではなく、人間らしい生活をしてゆかなければなりません。この人間らしい生活には、必要なものが二つあります。それは「自由」とということと、「平等」ということです。人間がこの世に生きてゆくからには、じぶんのすきな所に住み、じぶんのすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆけることなどが必要です。この自由は、けっして奪われてはなりません。(中略)またわれわれは、人間である以上はみな平等です。人間の上に、もっとえらい人間があるはずではなく、人間の下に、もっといやしい人間があるわけはありません。(中略)みな同じ人間であるならば、この世に生きてゆくのに、差別を受ける理由はないのです。差別がないことを「平等」といいます(同上書、pp.44~46)。
おわりに
日本の戦後民主主義の原点は、人格の覚醒を前提にした人格の尊厳の平等、良心の自由をはじめとする自由、平和主義等を重視し、全ての人間が幸福に生活出来るようにする点にあることが確認出来ます。
自民党の前身の保守二党も、日本国憲法の成立過程では反対する余地はありましたが、反対せず賛成しました。
しかしその後、1955年に保守合同により自民党を結党し、憲法改正を党是としました。1955年の「党の使命」では、当時の政治的混迷の「一半の原因」が、日本を弱体化させる為の「敗戦の初期の占領政策の過誤」に求められました。
国内の現状を見るに、祖国愛と自主独立の精神は失われ、政治は昏迷を続け、経済は自立になお遠く、民生は不安の域を脱せず、独立体制は未だ十分整わず、加えて独裁を目ざす階級闘争は益々熾烈となりつつある。
思うに、ここに至った一半の原因は、敗戦の初期の占領政策の過誤にある。占領下強調された民主主義、自由主義は新しい日本の指導理念として尊重し擁護すべきであるが、初期の占領政策の方向が、主としてわが国の弱体化に置かれていたため、憲法を始め教育制度その他の諸制度の改革に当り、不当に国家観念と愛国心を抑圧し、また国権を過度に分裂弱化させたものが少なくない。この間隙が新たなる国際情勢の変化と相まち、共産主義及び階級社会主義勢力の乗ずるところとなり、その急激な台頭を許すに至ったのである(https://www.jimin.jp/aboutus/declaration/)。
しかし、現在では米ソ冷戦も終結し、当時とは文脈が異なります。では今なぜ憲法改正なのでしょうか。