服部英二の「地球倫理」論

はじめに

ユネスコの事務局長顧問等を歴任した服部英二先生は、現代日本を代表する比較文明学者、思想家です。

http://www.jscsc.gr.jp/index.do

2012年以降、服部先生は「通底」論を基礎にした「地球倫理」論を提唱しています。

http://www.jasgse.com/teigen/h24-10-ti-yan

しかし、筆者は服部先生の「通底」論は、人権を抑圧する文化的差異の問題を正面から取り上げていないと評価します。

はじめに 2013年3月、ユネスコ事務局長顧問等を歴任した比較文明学者の服部英二は、イタリアで開催された世界ユネスコクラブ連盟の会議で、「...

しかし、その一点を除けば、服部先生の2013年の「地球倫理」論は評価出来ると思います。ここでは服部先生の「地球倫理」論のエッセンスを紹介します。

「市場原理主義=世界のアメリカ化」批判

市場原理というものにすべてを委ねていけば、世界は全部アメリカの文化になってしまいます。現在も、目に見える形や耳に聞こえる形で全世界を覆っており、そのために、ほかの小さな国の文化が消えつつあるのです(服部英二『未来を創る地球倫理―いのちの輝き・こころの世紀へ―』モラロジー研究所、2013年、p.61)。

しかしながら、明日を思わず、今日の利益を求める市場原理主義は、未来世代に思いを致すことなく、経済成長を求めてやみません。限りない欲望の追求が「自由」の旗印のもとに推し進められています。それはあくなき所有の拡大であり、人間の内的成長とは無関係なのです。この市場原理主義こそが全世界に格差を拡大させ、紛争の種をまち散らしている覇権主義の正体であり、これを終焉させることこそが人類の明日の共生を可能にする条件です(同上書、p.166)。

二項対立を超越する「第三」の模索

「一切即一、一即一切」、これは華厳の哲学ですね。(中略)仏教、特に大乗仏教の世界では、それを真理としてきました。これを理解するには「包中律」という新しい論理が必要であるということを、今、世界のいろいろな学者が考えています。(中略)排中律は「law of excluded third」であり、第三を認めません。その「第三」、これが実は先ほど申し上げた「間」なのです。包中律は排中律と違って、それを包みます。これは新しいパラダイムをつくり出す論理として認めようではないかということを、シンポジウムで私も提案しましたし、アメリカの学者で国際比較文明学会の名誉会長でもあるパレンシア=ロスも言いました(同上書、p.70)。

「父性原理」の批判と「母性原理」の再発見

文明の本質を問うとき、今、念頭に置くべきは、この近代科学の生い立ちです。それは信仰との闘争の産物であり、人の全人性を歪めた理性至上主義に基づくゆえに、文化の多様性と多民族の尊厳を認めぬ覇権主義であり、力の文明でした。それを「父性原理」と呼べば、その対極に位置し、今まで未開と軽んじられてきたものの中にこそ、未来倫理が見出せるのではないか、とわれわれは考えます。それは理性・感性・霊性のすべてを和する「母性原理」であり、全人性の倫理です。その母性原理とは、いみじくも鶴見和子が言い切ったように、「いのちの継承を至上の価値とすること」です(同上書、p.165)。

新しい理性主義

しかし、その際、最も注意すべきはバランスです。それは単なる理性の否定であってはなりません。人間には父母の双方が必要なのです。われわれの追求する「通底の価値」、すなわちすべての民族が分かち合える未来的倫理とは、感性のみによるものではなく、あくまで互敬の立場に立ち、感性・霊性と響き合う理性によってのみ到達可能なものでしょう。それは新しい理性主義と呼んでもよいものです(同上書、p.168)。

「知」から「智」、そして「Sophia」へ

もし人類が今、自らの過去に学び、本来的な全人性を取り戻すことができれば、人類は再び地球と共生し、目前に迫った危機を乗り越えることができるでしょう。われわれが直面している危機は、人類文明の危機です。これを乗り越えるべく、われわれが目指す「知の社会の構築」とは「知」(Scientia)ではなく「智」(Sapientia)の再発見、すなわちソクラテスが体得し、プラントがアカデメイアで説いた「Sophia」に結ぶものであるのです(同上書、p.191)。

精神革命の師たちの言葉は、まさしく主客の二分法、二項対立にのっとった言葉ではなかったのです。四人の先覚者たちに特徴があるとすれば、その誰一人として、自らの著作を持っていません。その四人の教えとして知られているのは、それを祖述した人が書いたものです。ということは、それらの人が全人性を持って教えを説いたことの証拠です。すなわち全人的な人格の力が、人々を動かしたのです。

このような人格の言葉の中には、真理と倫理の合一が見られます。それは「知」(Scientia)でなく、「智」(Sapientia)と呼ばれるものであるのです(同上書、p.244)。

日本人が発信すべきメッセージ

「力の文明」から「生命の文明」へ、「物」から「心」へ――これが今、日本人が発信すべきメッセージです。

「日本は急速にヨーロッパの科学技術を吸収して、わがものとした。しかし私の願いは、日本人は西洋の先を行く、みずからの偉大な価値観を、そのまま持続し続けてほしいということだ。その価値観とは、美的感覚に恵まれた生活の仕方、必要とするものの簡素さと倹しさ、心の安らかさである」

これはアインシュタインが1923年に訪日した際、残した言葉です(同上書、p.136)。

「日本国民の使命」とは何でしょうか。これは「日本国民であるということ(アイデンティティ)」や「日本のメンバーシップ」とは何かという問題とも関係しています。戦後日本の原点を日本国憲法の前文で再確認することを通して考えます。

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