はじめに
「日本国民の使命」とは何でしょうか。これは「日本国民であるということ(アイデンティティ)」や「日本のメンバーシップ」とは何かという問題とも関係しています。ここでは「日本国民の使命」とは何かを、戦後日本の原点を日本国憲法の前文で再確認することを通して考えます。
日本の過去と現在
1945年8月に日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏し太平洋戦争に敗戦しました。
しかしその後、米ソ冷戦が始まりました。1948年に国連は世界人権宣言を採択しましたが、人権観を巡り東西は対立しました。1970年代に経済成長に行き詰まった先進資本主義諸国では、ネオリベラリズムが台頭し、福祉国家が再編され始めました。
1989年に冷戦は終結し、1991年にソ連が崩壊し、市場経済がグローバル化しました。1993年、国連は世界人権会議で人権の普遍性を再確認し、人権教育政策を展開しました。日本の外務省もコミットメントしています。
1996年、イギリスでは労働党政権が成立し、社会民主主主義でもネオリベラリズムでもない「第三の道」を目指しました。しかし、「第三の道」はネオリベラリズムと大差無く失敗したとも評価されています。
1980年代に大きな財政赤字を抱える日本もネオリベラリズムを選択しました。小泉純一郎政権も小さな政府を目指しました。
1955年の結党以来、自民党は日本国憲法を改正しようとしています。現在、自民党は憲法改正草案も作り、憲法改正を本格化させています。草案では個人の尊厳を核にする基本的人権も後退させようとしています。
日本国憲法の前文―戦後日本の原点の再確認―
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われわれは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことにのみ専念して他国を無視てはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j01.html
おわりに
戦後日本の原点を要約します。日本の崇高な理想は、地上から専制と隷従、圧迫と偏狭、恐怖と欠乏を永遠に除去し、国家的なエゴイズムを退けて、平和を実現し維持することにあります。日本国民は、国家の名誉にかけ全力でこの崇高な理想を達成しようとする国民です。
この崇高な理想は、次のように展開出来るかも知れません。
日本の崇高な理想は、生命の輝きを尊び、ある生命の輝きが他の生命も輝かせ、生命が相互に輝きを増幅し合うような存在(to be)になることです。逆に専制や従属、圧迫や偏狭、恐怖と欠乏によって自他の生命の輝きを失わせ、死滅させない存在(to be)になることです。
日本国民は、それぞれがそのような存在(to be)になることを通して、輝きに満ちた平和な世界を実現し維持することを、国家の名誉にかけ全力で達成しようとする国民です。
正にこの点に「日本国民の使命」もあるのかも知れません。
もし事実であれば、その使命は日本国民が世界史によって課せられた「天命」なのでしょう。
「天命」とは、①天の命令、上帝の命令、②天によって定められた人の宿命、天運を意味します(『広辞苑 第六版』岩波書店、2008年)。