はじめに
冷戦後の1993年、国連の世界人権会議は人権の普遍性を確認しました。その後、イギリス等ではシチズンシップやシチズンシップ教育が重視され始めました。また、日本では文科省が主権者教育に取り組み始めました。しかし、人権、国民主権、「市民性=シチズンシップ」の概念は混乱しているように見えます。そこでここでは人権と国民主権との関係を、国民主権の側から整理します。その際、政治学者の川出良枝東大教授の「主権」(『岩波社会思想事典』岩波書店、2008年)を参考にします。
主権とは何か
まず主権を、川出教授は次のように定義します。
「国内において、他のいかなる下位の勢力にも優越する最高の決定権限であり、かつ、対外的には、国内問題に対するいかなる外部からの干渉をも排除する権限のこと」(同上書、p.153)。
主権論の歴史的展開
まずJ.ボダンが『国家論』(1576年)で主権概念を本格的に理論付けました。
次にホッブスは主権論に社会契約説を導入し、主権は各人が自発的に契約を結び設立するものとしました。しかし、ホッブスは、一度主権が設立されると一切の抵抗を認めませんでした。ホッブスの主権論は、現実の文脈では君主主権を正当化するものでした。
その後、イギリスでは名誉革命が起こり、主権は議会に属すという議会主権論が確立しました。
議会主権論には、次のような特徴がありました。
①「議会」には君主も含むこと。
②制限選挙。
J.J.ルソーの人民主権論
J.J.ルソーは、議会主権論にも満足せず、集合体としての人民が主権者として立法権を行使する人民主権論を提唱しました。
ルソーの人民主権論には、次のような三つの特徴があります。
①人民とは、契約によって人為的に形成された実体を備えた団体であること。
②個々の市民は、主権を構成する平等かつ不可欠の一部として、実際に立法に参加する権利と義務を持つこと。
③直接民主制。
日本国憲法の国民主権論
20世紀になると人民主権論の権威は確立しました。敗戦後の1946年に公布された日本国憲法では、国民主権論が展開されました。
日本国憲法前文には、次のようにあります。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」。
第1条には、次のようにあります。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」。
以上から次の三点が確認出来ます。
①主権は「天皇」や「君主」や「国家」や「議会」ではなく、「国民」にあること。
②天皇は日本国の象徴で、その地位は主権者である国民の総意に基くこと。
③「人民」主権ではなく、「国民」主権であること。
その上で第11条で基本的人権の享有が規定され、第15条で「公務員の選挙」が「成年による普通選挙」として規定されました。
おわりに
前文にあるように、国民主権を規定する日本国憲法では 国政は主権者である国民の「厳粛な信託」によるものであり、その「権威」は主権者である国民に由来し、その「権力」は主権者である国民の「代表者」が行使し、その「福利」は主権者である国民が享受します。
人権には主権者である国民の「代表者」を選出する普通選挙権も含み、人権と国民主権は密接な関係があります。しかし、憲法には「市民性=シチズンシップ」というタームは見られません。そうすると憲法では、人権、国民主権、「市民性=シチズンシップ」の関係は明確に定義されていない可能性があります。