はじめに
一般的に「公正な機会均等原理(=差別禁止原理)」は、「メリトクラシー(能力原理)」とされます。
メリトクラシーは人権にも確認出来ます。例えば、「教育への権利」や「教育を受ける権利」等です。
他方で、日本国憲法第1条では、血統原理に基づく象徴天皇制が公式の「国民統合原理」と規定されています。
そうするとメリトクラシーと結合した公正な機会均等原理は、公式の国民統合原理と対立する契機も持ちます。差別禁止原理が差別原理の一つである血統原理によって統合されるので、内部矛盾を抱える訳です。
そうすると象徴天皇制は、国民統合原理として機能せず、国民分裂原理として機能する側面もあるかも知れません。少なくともその相対する二原理が正面衝突した場合は、そうなる可能性があります。
翻って1970年代に堀尾輝久東大名誉教授は、「「人格」“development”機会の分配原理」から「社会選抜原理=階級/階層間のエレベーター原理」に転落したメリトクラシーの問題を三点指摘しています。
①不平等の再生産。
②エリートの非「人間」化。
③非エリートの無気力化あるいは非「人間」化。
1980年代になると堀尾教授は、エリートも無気力化していると指摘しました。
ここではメリトクラシーによるエリートの無気力化を、東大、特に医学部の問題を手掛かりに考えます。
人権と「人間(human beings)」と「教育(education)」
世界人権宣言は、①人権の無視や侮辱、②良心の蹂躙、③言論と信念の自由の抑圧、④恐怖と欠乏からの不自由を不正義や悪と捉え、「野蛮(barbarous)」と評価し、人権の法の支配による保護つまり「文明」を対置します。
そうすると法の支配による人権の保障は、この種の不正義や悪からの人間の解放を意味します。
世界人権宣言の「人間(human beings )」観には、次のような特徴があります。
①生まれながらに尊厳と権利において自由で平等であること。
②「理性(reason)」と「良心(conscience)」と「友愛の精神(a spirit of brotherhood)」を持つこと。
こうした「人間」観の上で、「教育」が規定されます。世界人権宣言第26条「教育への権利」では、「教育(education)」は、「人格(the human personality )」の「全的発展(full development )」と人権や「基本的自由(fundamental freedoms)」へのリスペクトの強化に方向付けられたものとされます。
学歴エリートの無気力化ー東大医学部問題ー
堀尾教授は、東大医学部問題について、「大学に入って勉強しなくなり、また不適応で脱落する学生が少なくないという問題」と指摘しています(堀尾輝久『教育入門』岩波新書、1989年、p.191)。
その上で、堀尾教授は、東大広報委員会の『東大広報』(1987年12月7日)に掲載された記事から、次の箇所を引用しています。
高校で成績がずば抜けて良いと、先生や親の強い勧めで、本人の意志に関係無なく理Ⅲを受験する話はよく耳にする。最近の学生は幼稚化しているといわれるが、親や先生の言うことには素直な反面、主体性がないので適性がないまま理Ⅲー医学部ー医者というような、つぶしがきかない袋小路にはいってしまうと、やる気を失って、勉強はしない、試験には通らない、授業には出ないの悪循環で、社会から脱落していく悲劇が始まるのが通例のパターンのようだ(同上書、p.191)
おわりに
1980年代の東大医学部では、偏差値という形態で指標化された“merit”をより多く所有する者が、進学し、無気力化し、社会から脱落した可能性があります。
その場合の“merit”とは、「啓蒙」による「理性(reason)」の発達レベルの高さではなく、暗記等によって得られる大学受験に必要な知識の所有量の多さである可能性もあります。
そうすると教育機関でもある東大医学部では、学生は「人格(the human personality )」のを「全的発展(full development )」させず、人権や「基本的自由(fundamental freedoms)」を弱体化させた可能性もあります。
事実である場合、学歴エリートの頂点にいるとも言える東大生も、「人間(human beings )」つまり「普遍としての人権」の主体になれなかった可能性があります。
所謂「受験オタクの悲劇」の一つかも知れません。
しかし、この問題は1980年代のものです。現在とは文脈は違います。
現在では東大理Ⅲの合格者は、指定校制度を持つ特定の塾の出身者だと指摘されています。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO12295770Q7A130C1000000
現在も「人間」になれないのかは明らかではありません。
この検討は今後の課題にします。