はじめに
世界人権宣言は、「人間」は「集団」として扱われる場合と「個人」として扱われる場合がある。
ではどのように使い分けられているのか。
「集団」としての「人間」(1)ー前文の家族人類論ー
まず全文では「人類としての人間」は、“the human family”と表現されている。
Whereas recognition of the inherent dignity and of the equal and inalienable rights of all members of the human family is the foundation of freedom, justice and peace in the world,
「集団」としての「人間」(2)ー普遍主義的「人間」観ー
第1条では、“All human beings”として表現されている。
All human beings are born free and equal in dignity and rights. They are endowed with reason and conscience and should act towards one another in a spirit of brotherhood.
「個人」としての「人間」(1)ー法の前の場合ー
第6条の法の前では「人間」は、「一個人(a person)」と表現される。
Everyone has the right to recognition everywhere as a person before the law.
「個人」としての「人間」(2)ー諸権利と諸自由を破壊する場合ー
諸権利と諸自由を破壊する場合でも、「人間」は「一個人(a person)」と表現される。
Nothing in this Declaration may be interpreted as implying for any State, group or person any right to engage in any activity or to perform any act aimed at the destruction of any of the rights and freedoms set forth herein.
おわりに
世界人権宣言では、文脈によって「人間」は集団として扱われたり、「一個人」として扱われている。
「人間」の「尊厳」や普遍主義的「人間」観が提示される文脈では、「人間」は「集団」として扱われている。他方、法の前や諸権利と諸自由を破壊の文脈では、「人間」は「集団」ではなく「一個人(a person)」として扱われている。