人権と人権教育と日本

はじめに

第二次世界大戦後、日本は基本的人権を保障する日本国憲法を公布し施行しました。1948年に国連も世界人権宣言を採択しましたが、当時は米ソ冷戦中で人権の理解も評価も分裂していました。冷戦が終結しソ連も崩壊した後の1993年、国連は世界人権会議で人権の普遍性、相互依存性、相互不可分性を確認し、人権教育政策を展開しました。では日本の学校では人権教育は展開されたのでしょうか。結論はノーに近いです。

国連による国際人権レジームの形成

1966年、国連は法的拘束力を持つ「国際人権規約」を採択しました。これは「人権革命」とも評価されています。1979年、国連は法的拘束力を持つ「女性差別撤廃条約」を採択し、「特別措置=アファーマティブ・アクション」も認め、1989年、法的拘束力を持つ「子どもの権利条約」を採択しました。

冷戦後の1993年、国連は世界人権会議で、人権の普遍性、相互依存性、相互不可分性を確認しました。同会議で採択された「ウィーン宣言及び行動計画」の33では、人権教育が重視されました。

「世界人権会議は、世界人権宣言、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約その他の国際人権文書が規定するように、教育が人権及び基本的自由の尊重を強化することを目的とするよう国が確保する義務を負うことを再確認する。世界人権会議は、人権教育を導入するこの重要性を強調し、諸国にそれを行うよう求める」。

http://www.ohchr.org/EN/ProfessionalInterest/Pages/Vienna.aspx

1994年、国連は国連高等人権弁務官を創設しました。

http://www.ohchr.org/EN/Pages/Home.aspx

そして国連は1995年から「人権教育のための国連の10年」を、2005年から「人権教育のための世界プログラム」をスタートしました。

日本の人権の現実

世界人権会議後、国連の人権(教育)政策に沿う政策を日本も政府レベルでは展開しました。1998年、法務省等の諮問に応じる為に人権擁護推進審議会も設置されました。

http://www.moj.go.jp/shingi1/shingi_jinken.html

2000年に同審議会は答申をまとめました。

同答申では、まず日本には様々な人権問題があり、しかもそれは複雑化していることが確認されています。次にその原因は人権課題に対する正しい理解や合理的判断能力の欠如にあるとされます。

「我が国には今なお様々な人権課題が存在するが,その要因としては,人々の中に見られる同質性・均一性を重視しがちな性向や非合理な因習的な意識,物の豊かさを追い求め心の豊かさを軽視する社会的風潮,社会における人間関係の希薄化の傾向等が挙げられる。国際化,情報化,高齢化,少子化等の社会の急激な変化なども人権問題を複雑化させる要因となっている。また,国民一人一人において,個々の人権課題に関して正しく理解し,物事を合理的に判断する心構えが十分に備わっているとは言えないことが,それぞれの課題で問題となっている差別や偏見につながっているという側面もある」。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/jinken/06082102/016/008.htm
その上で同答申では、人権課題の存在理由の根本には、国民一人一人に人権尊重の理念の正しい理解の欠如があるとされ、その根拠として国民の20%以上は基本的人権を不可侵の永久の権利と認知していない現状が挙げられています。

「現に,総理府が平成9年7月に実施した「人権擁護に関する世論調査」において,基本的人権が侵すことのできない永久の権利として憲法で保障されていることそれ自体を知らないと答えた者の割合が,回答者全体の20.1パーセントを占めており,その結果から見ても,基本的人権についての周知度がいまだ十分とは言えない状況にある」。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/jinken/06082102/016/008.htm

日本の人権教育の現実

ではこうした基本的人権についての国民の無知の原因はどこにあるのでしょうか。可能性は二つあります。

①日本の学校では人権教育が実践されて来たが、人権のの無知や無理解を克服出来なかった。

②日本の学校ではそもそも人権教育が実践されて来なかった。

戦後教育学のリーダー堀尾輝久東大名誉教授は、②の説を支持しています。

1998年、堀尾教授等は日本での人権教育の困難さを背景に、『教育国際資料集』(青木書店)を出版しました。当時のことを堀尾教授は、次のように回想しています。

「さらに、ユネスコ国際教育要項と書いたのは、国際的にはその問題がどう動いているのか、例えば、人権や平和の教育などはユネスコレベルでは当然のこととして強調もされているわけでしょ。かたや日本では、人権教育はむずかしい、平和教育というとなんとなく偏向教師に見られるような枠組みがつくられてきたわけだから、それに対する批判の視点というものを。国際的な視野も含めて僕らは持っていなくてはいけない。『教育国際資料集』(1998・青木)を作ったのもその頃です」(堀尾輝久「公開インタビュー 教育学研究者として教育現実といかに向き合ってきたか」、『研究室紀要』第40号、東京大学大学院教育学研究科基礎教育学研究室、2014年7月、p.79)。

しかも2015年でも堀尾教授は、文部科学省や自民党政府には子どもの権利条約を軽視、無視する人達がいると指摘しました。

「文部科学省などは、依然として子どもの権利条約を本気で大事にしようとする構えがないし、むしろ、今の自民党政府の中に子どもの権利条約なんていうものは無視すればいいんだと公然と言っている人たちがいるわけです」(堀尾輝久「戦後レジームからの脱却と教育基本法改正」、『研究室紀要』第41号、東京大学大学院教育学研究科基礎教育学研究室、2015年7月、p.14)。

はじめに 「近代市民革命の理念=自由、平等、友愛」は、人権に結晶化されています。しかし、歴史的には差異は人権から排除されて来ました。 ...

しかし、日本国憲法第98条第2項では、次のように規定されています。

「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」。

もし文部科学省や自民党政府が国際人権法を誠実に遵守せず無視している場合、公然と憲法に違反していることになります。これは立憲主義の無視を意味します。

おわりに

堀尾説が正しい場合、国連の世界人権会議による人権の普遍性の確認から20年以上経つにも拘わらず、日本国民の人権理解や意識は低く、日本の政府や与党レベルでもそれを軽視、無視している可能性があります。しかも、人権教育の実践自体も難しい可能性もあります。もし事実認識として正しい場合、多くの日本国民はヒトから理性と良心と友愛の精神を持つ「人間」(世界人権宣言第1条)への“development”不全に集団的に陥っていることになります。そうすると日本国民は、いつまでも「人権=自由、平等、友愛」の主体として生きることが出来ないことになります。

はじめに 現代世界の正義の核の一つは人権です。人権は近代の市民革命の理念である「自由、平等、友愛」を結晶化したものです。正義の基礎としての...

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