はじめに
1960年代にカトリック教会は「アジョルナメント(現代化)」を掲げ教会刷新運動を展開し、平和の基礎としての正義の実現を自らの使命としました。その方向性を直接受け止めたのは、最大級の男子修道会であるイエズス会でした。公会議後、日本のカトリック系学校は「福音」の視点から理念と現実の不一致を批判され、アイデンティティの危機に陥りました。その後、ゆっくりと改革を進め、現在に至ります。
現在、日本カトリック学校連合会加盟校は、大学が18、短大が18、小中高260、幼稚園(子ども園も含みます)526校あります。
http://www.catholicschools.jp/member/
では公会議以降、カトリック系学校ではどのような改革が進められ、どのように「福音」に忠実であろうとしているのでしょうか。
第二バチカン公会議によるカトリック教会の「アジョルナメント」
カトリック教会の正義推進の起源の一つは、1891年の教皇レオ13世による回勅『レールム・ノヴァルム―労働者の境遇―』にあります(レオ13世[岳野慶作訳解]『レールム・ノヴァルム―労働者の境遇―』中央出版社、1961年)。同回勅は、労働問題に深い関心があったメルヨミ枢機卿がレオ13世に依頼されて結成したフリブール連盟の研究成果を反映したものです(同上書、pp.20~22)。
1960年代にこの動きが加速化されました。1962年から1965年に労働者階級出身のローマ教皇ヨハネ23世の指導性の下で「アジョルナメント」を掲げて第二バチカン公会議を開催しました。1963年、ヨハネ23世は『パーチェム・イン・テリス(地上の平和)』で世界人権宣言にコミットし、「平和」が特別な助けと保護を必要とする「貧しい人々」に恩恵をもたらすようにと促しました(教皇ヨハネ23世『回勅パーチェム・イン・テリス―地上の平和―』ペトロ文庫、2013年、p.100)。
現代世界におけるカトリック教会の使命―平和の基礎としての正義の実現ー
公会議の最後に『現代世界憲章』が公布され、平和の基礎としての正義を愛を通して実現することが教会の使命とされました。同憲章は、非平和の原因を次の諸点に求めました。
平和の建設をするためには、なによりもまず人々の不一致の原因、とりわけ戦争の温床となる不正義を取り除かなければならない。それらの原因の多くは、過度の経済的な不平等と必要な対策の遅延にもとづく。その他の原因は支配欲と人にたいする軽蔑(a contempt for persons)から生じるものであり、さらに深い原因を探せば、それはねたみ(envy)、不信、自惚れや高慢や傲慢(pride)、その他の自己中心的な熱情(other egotistical passions)にもとづいている(長江恵訳『第二バチカン公会議 現代世界憲章』中央出版社、1967年、p.139参考 http://www.vatican.va/archive/hist_councils/ii_vatican_council/documents/vat-ii_const_19651207_gaudium-et-spes_en.html
同憲章は以上の諸原因により秩序は乱れ人々は争いに巻き込まれ苦悩すると分析しました。但し、「過度の経済的な不平等」は厳密に定義されなかったので、事実上今後の課題とされたと評価出来ます。
第二バチカン公会議後のイエズス会の動向
1975年、イエズス会は広島県で被爆したアルペ総長の指導性の下で第32総会で、「第四教令」を採択し、「信仰と正義推進の一致」を決定しました(「第四教令 今日におけるわたしたちの使命」、イエズス会管区長館監修『S.I.S イエズス会の霊性(イエズス会第32総会教令抜粋)』女子パウロ会、1976年)。
1981年、イエズス会は第33総会で第32総会の方針が再確認とされるとともに「貧しい人々を優先する選択」も採択しました。
1982年、イエズス会はイエズス会教育使徒職国際委員会を組織し、1986年、『イエズス会の教育の特徴』を公布しました(イエズス会教育使徒職国際委員会編[高祖敏明監訳]『イエズス会の教育の特徴』中央出版社、1988年)。
そこでは教育の正義は明確に定義されませんでしたが、次の三点が重視されました。
①教育機会の均等。
②分配的正義。
③教育対象・内容への「貧しい人々を優先する選択」の反映。
③の「貧しい人々」とは、経済的な意味だけでなく、人間の尊厳に相応しい生活を送ることが出来ない全ての人々とされました。
1988年、上智大学で開催された国際シンポジウムで、アルペ総長の顧問だったジャン・イブ・カルヴェは、教育制度による不平等・差別の打破を次のように主張しました。
教育制度は不正も『再生産』する傾向がある。すなわち、教育制度は不平等や差別を固め、永続化させる傾向があり、このことはあらゆる体制(社会主義同様、自由資本主義も)に当てはまる。こうした傾向に打ち勝つには、特に意識して努力することが必要である。キリスト教の大学、イエズス会の大学は、すべての者に対する機会均等というキリスト教の原則に基づいた教育制度に真っ先に貢献すべきだ(ジャン・イブ・カルヴェ[保岡孝顕訳]「イエズス会の教育の特徴―教育界において正義を推進するために―」、『正義に向かう教育』中央出版社、1989年、p.34)。
第二バチカン公会議後の日本のカトリック教会の現実―啓蒙の不足―
第二バチカン公会議を受け日本の教会でも各司牧委員会が設置され、典礼委員会は、長江恵司教の指導性の下で、ミサ式文の邦訳、朗読用聖書の邦訳、教会の祈り作成、対面ミサが出来る祭壇の設置等の改革もスタートしました。しかし、1980年から1982年に刊行された『キリスト教史』では、公会議の精神の啓蒙は不十分で混乱をもたらしたと次のように指摘されています。
このように目に見える一大変化が日本の教会に見られるようになったが、その改善ないし改革、あるいは新たな機関の設置の理由および目的の啓蒙とその育成は不十分であったといえよう。なぜ改革されなければならないのかということが十分に司牧者にも納得されないまま現実に変化する実践に移ったため、その内容の真の理解には相当な時間を要し、また信徒のあいだでもの混乱も大きかった。一度試験的に試みられる事柄は、殆ど改善の余地のないほど習慣になってしまう。この説明の不十分さは、現在までその余韻を残している(ヨセフ・ハイヤール他[上智大学中世思想研究所翻訳/監訳]『キリスト教史』第11巻(現代に生きる教会)平凡社、1997年、P.420)。
イエズス会士の尾原悟上智大学名誉教授も、当時「司牧者=(特に日本国民の)イエズス会士」は「貧しい人々を優先する選択」には見向きもしなかったと証言しています。また、ある信者が次のように証言するように、1997年段階でもその「余韻」は残っていました。
私たちの小教区には「ロザリオ、焼肉、バザー」のムードがあります。若い人も教会に来ますが、この三つを発展させていこうというムードしかない。私が公会議の文書などをもっていると、教会の中で変人扱いされてしまう(カトリック東京教区生涯養成委員会編『講演集 第二バチカン公会議と私たちが歩む道』サンパウロ、1998年、p.56)。
教会によるカトリック系学校への批判―理念と現実の不一致―
翻りカトリック系学校は、イエズス会士の高祖敏明上智学院理事長(2018年3月時点)によれば、1970年代後半から1980年代後半に教会から差別や不平等を助長している等と批判され、修道者の中にはアイデンティティの危機に陥る人間も現れました。
(日本のカトリック系学校が――引用者による注)実際に「富める者のための学校」となっている以上、第2ヴァティカン公会議をとおして基本姿勢の転換を図った現代の教会の方針にそぐわない。なぜなら、この姿勢転換とは、福音を「時のしるし」のもとに読み直して、「貧しい人を優先させる」という方針に切り替えたものだから、と攻めたてられる。こうして、福音にもとづいて始められたはずの教育使徒職が福音の名において批判され非難されるという、悲しくゆゆしい事態に陥った(高祖敏明「カトリック学校の役割の再発見―二一世紀に向けての魅力ある学校づくり―」、『カトリック教育研究』第12号、1995年、p.6)。
修道者の中にはカトリック系学校を辞める者もいましたが、高祖理事長のように学校に残った者もいました(高祖敏明「カトリック女子教育のアイデンティティー―二重の混乱と最近の再構築の試みを中心に―」、『カトリック女子教育研究』第2号、カトリック女子教育研究所、1993年、p.3)。聖心女子学院の母体である聖心会のシスターの一部は、「復興を遂げた日本での使命は終った」と判断し、活動の拠点を日本から発展途上国に移動させたと言われています。
http://www.satoshi-kaneko.com/justice/875/
しかも、こうした理念と現実の乖離は、カトリック系学校によれば最近(2019年1月時点)まで続いていたようです。
石川一郎・香里ヌヴェール学院学院長は、「21世紀型教育と学校改革」という報告で次のように述べています。
1. 一般的な学校改革とその行き詰まり
・東大、京大など国公立、難関私大への合格者数を伸ばしたいが、定員は増えないので私学の「椅子取りゲーム」になっている。勉強を徹底的にやらせるのも限界がきている。
・スポーツで名をあげたいが、大規模私学以外は資金面で困難。しかも部活に力を入れるのは今後難しい。部活を学校からどう切り離していくのかが今後の流れになっている。部活での生徒集めは特にカトリック校では無理がある。
・多様なコース制をとりたいが、カリキュラムの複雑化、人材難となり最終的には資金難になる。
・広報戦略として、「共学化」はあるが、一回しかカードはきれない。カトリックの女子校、男子校に流れている空気が一気に変わってしまい、別の学校になってしまうおそれがある。学校改革は仕掛けている学校が必ずしも当たるわけではない。
香里ヌヴェール学院は、元々「聖母女学院」でした。聖母女学院だった2004年には、中学1年より「文理総合コース」と「英数特進コース」を新設しました。2017年に「香里ヌヴェール学院」に校名を変更し男女共学化しました。
http://www.seibo.ed.jp/nevers-hs/nevers/history/
2. カトリック校のブランドと現実乖離
地域ごとにあるカトリック学校は、悪い学校というふうに見られることはなく、むしろ「いい学校」というイメージがある。富裕層へのミッションブランド、全人教育は魅力であったが、その富裕層のお金の使い方、質的変化によりミッションブランド、全人教育に関心をしめさなくなってきた。(現代的価値観への変化)
「富裕層」とは具体的にどういう層なのか分かりません。しかし、最近までカトリック系学校は「富裕層」なるものを「顧客」にして来ましたが、価値観の変化により「顧客」がついて来なくなり、「21世型改革」に向けて「学校改革」を始めたようです。
その動機は、「福音」への忠実さではなく、「顧客」が離れ経営難に陥ったことにあったことが確認出来ます。
あくまで市場ベースの発想と行動だった訳です。
民間企業に近い「私立学校」らしいと言えば「私立学校」らしいことでした。
日本のカトリック系学校改革の重心―人権よりも環境?―
1987年、日本の教会は第1回福音宣教推進全国会議(NICE)を開催し、「カトリック学校は、日本社会に福音の光を伝えるためのもっとも重要な場所の一つです」と宣言しました(第1回福音宣教推進全国会議『答申』、第1の柱の提案3)。
1988年、東京都でカトリック学校校長・理事長研修会が開催され、「確認」が宣言されました。その第1項では、日本社会の問題への応答が確認されました。
NICEが指摘するように、日本の社会には様々な歪み・痛み・矛盾があると同時に、真の平和・幸福への切なる願望がある。これは、カトリック学校が受け止めて応えてゆかなければならない、大きな課題である(カトリック学校校長・理事長研修会「確認」、1988年4月22日)。
しかし、「日本社会の歪み・痛み・矛盾=「大衆国家=福祉国家」のメリトクラシーの問題」と発想されたのかは確認出来ません。もしNICEと同研修会がそれを問題と発想していなかった場合、日本社会の問題理解は不十分なものだったと評価出来る可能性もあります。
1996年、高祖理事長は『カトリック大事典』第Ⅰ巻の「カトリック学校」の項で、カトリック系学校のアイデンティティの再確立について次のように指摘しました。
こうしてカトリック学校がそれぞれの置かれた場と状況のなかで、真に「福音の光を伝える」ものとなるべく、平和教育、開発教育、環境教育などの今日的課題をも視野に収めたアイデンティティの確立とその具体化に取り組んでいるのが現状である(高祖敏明「カトリック学校」の項、『カトリック大事典』第Ⅰ巻、研究社、1996年)。
人権教育等の正義推進の教育が抜けていることが確認出来ます。
その後、イエズス会系上智大学は法学部地球環境法学科や地球環境学研究科等を設置し、人権教育ではなく環境教育を重視しました。
http://www.sophialaw.jp/faculty/department/environment.html
https://www.sophia.ac.jp/jpn/program/G/G_GEnv/index.html
環境教育を重視する背景ー古い日本の教会を批判する「近代性」への批判ー
少し遡りますが1992年、高祖理事長は当時のカトリック教会が「近代性」を批判出来るまで成長したという認識を示しました。
第2ヴァティカン公会議以降の20年ほどは、近代文明とそれを支える「近代性」から批判されるままに甘んじてきた。しかし、いまや教会は、福音への忠実さから、近代文明と近代性を逆に批判できるまでに成長してきた。さきに触れた科学技術の歯止めを知らない行き過ぎた開発、地球の生態系を守る環境的、社会的、宗教的土台の侵食などの問題がその好例であろう(高祖敏明「アメリカ合衆国のカトリック教育の行方―R.オゴーマンのモノグラフ『教会、それはかつて学校だった』―」、『カトリック教育研究』第9号、1992年、p.86)。
当時、高祖理事長は「近代性」批判に着目していました。この背景には「ポスト・モダン」の台頭もありました。1980年代以降、高祖理事長は教育の「ポスト・モダン」、特にフィリップ・アリエスの教育の社会史に関心を持ち始めました。1987年度の上智大学大学院文学研究科教育学専攻で、高祖理事長は「教育史演習Ⅱ」を担当しましたが、『履修要綱』によれば、その演習の内容は次のようなものでした。
社会史・心性史的アプローチから西ヨーロッパの実際史を考察する。Ph.Ariesのいう子どもの「誕生」、子どもの「発見」を確認しながら、J.R.ギリス『<若者>の社会史』(新曜社、1985)を演習形式で講読する(『上智大学大学院履修要綱』上智大学学事部、1987年、p.48)。
1980年代以降の「近代性」批判への関心の延長線上で、1992年に高祖理事長は、「教会は、福音への忠実さから、近代文明と近代性を逆に批判できるまで成長した」と主張したことが確認出来ます。
「持続可能性」への取り組み
現在、国連は持続可能な開発に取り組んでいます。国連のSDGsはその目標です。SDGsでは、正義と環境が統合されています。東京都にある国連大学のSDGsへの取り組みでも、両者は統合されています。
しかし、上智大学大学院の地球環境学研究科は、環境に「偏向」し、専任教員には正義の専門家がいません。
また、同大学法学部地球環境法学科の専任教員も、ジェンダー、政治学を専門とする三浦まり教授以外は、「環境」に偏向しています。
しかし、上智大学だけに限定されない可能性もあります。2019年秋に第17回キリスト教学校教育懇話会が新旧のキリスト教学校合同で開催されました。
プロテスタント系学校は、発展途上国支援の視点から「持続可能性」を捉えました。それに対しカトリック系学校は、環境教育に「偏向」していたと評価出来ます。しかし、サンプルが少な過ぎます。全体像を解明するには、より多くのサンプルが必要です。
しかし、限られたサンプルは、カトリック系学校の改革が、国内の人権教育でもなく、発展途上国支援教育でもなく、環境教育に「偏向」していることを示唆しています。
おわりに
第二バチカン公会議後、カトリック系学校も時間差を伴いつつ「福音」の視点から改革に着手しました。公会議以降の文脈での「福音」への忠実性とは、平和の基礎としての正義推進への忠実性です。正義推進を抜きにした環境教育は、「福音」への忠実性の喪失を意味するでしょう。
しかし、高祖理事長が考えるカトリック系学校のアイデンティティの再確立には、人権等の正義推進が抜けている可能性があります。少なくとも1996年段階ではそうだったと思います。そうするとそれは「福音」への忠実性ではないと評価出来ます。
それに対し、現在のイエズス会出身の教皇フランシスコは、回勅『ラウダート・シ』(2015年)で、正義と環境を統合的に捉える必要性を訴えています。そうすると環境への「偏向」は、教皇、バチカン、社会教説への忠実性の欠如も意味するでしょう。
更に「近代性≒人権等の正義」が削除されたアイデンティティの再確立は、前近代への退行になる可能性もあります。人権を蹂躙するあるいはそれを放置する「文化的多様性なるもの」は、ユネスコが考える「文化的多様性」とも一致しません。そうすると「文化的多様性」以外の差異ということになると思います。
しかも、カトリック系学校の理念と現実の乖離は、香里ヌヴェール学院に見られるように最近まで続いていました。その上、理念と現実の隔離によってアイデンティティが危機に陥ったからではなく、「顧客」である「富裕層」なるものが離れ、学校が経営難に陥ったからでした。逆に言えば、経営難に陥らなかったら、従来通りの経営を続けていた可能性もあります。
そうするとそれは、「カトリック系学校としてのアイデンティティの危機」では無く、「純粋な経営危機」だった可能性もあります。
日本のカトリック系学校の関係者は、どこまでも「自己中心的な熱情(other egotistical passions)」に支配されていた可能性があります。
もし“growth(成長)”や“development(発達)”が脱「自己中心的な熱情」を指向する場合、カトリック系学校の改革は、“growth”や“development”へのアンチテーゼになる可能性があります。
事実の場合、“education(教育)”自体へのアンチテーゼにもなります。
そうすると「教育」機関であることの自己否定にもなります。
「反面教師としての日本のカトリック系学校」の問題です。
これは「私立学校」だからなのでしょうか。しかし、この段階では断定は出来ません。いずれにせよ、日本のカトリック系学校は、「“egotistical”=腐敗」に陥っていた/いる可能性があるでしょう。
その場合、日本のカトリック系学校に最も必要なことは、「批判的理性」や「反省的理性」によって自らを客観的に眺め、自らの矛盾に“aware(気付く)”し、自らのあり方を修正することだと思います。
恐らく最も修正が必要なのは、他者というよりは寧ろ自分自身でしょう。
ここには「盲点としての自分」の問題があります。
それは「勘違いしている人が、それに気付かず「他者の勘違いのせいだ」と勘違いし、自分自身の勘違いには全く気付かず、他者の「勘違い(?)」を執拗に修正しようとする問題」です。これは「勘違いの自己修正の難しさ」を暗示しています。