子どもの権利

はじめに

「近代市民革命の理念=自由、平等、友愛」は、人権に結晶化されています。しかし、歴史的には差異は人権から排除されて来ました。

差異の一つの事例としては、子どもがいます。しかし、1989年に国連は所謂「子どもの権利条約」を採択しました。

1994年、日本でもそれは発効しました。しかし、日本ではまだ子どもの権利が定着していません。子どもの権利基本法というものも存在しません。

では子どもの権利はどう考えるべきでしょうか。

ここでは堀尾輝久東大名誉教授の子どもの権利思想を紹介します。

子どもの権利条約

米ソ冷戦が終結した1989年に、国連は「子どもの権利条約(Convention on the Rights of the Child)」を採択しました。

http://www.mofa.go.jp/policy/human/child/convention.html

“Convention”は、協定、協約、約定、申し合わせ、国際協定、仮条約という意味です。直訳すれば、「子どもの権利についての国際協定」となるのでしょうか。

所謂「女性差別撤廃条約」の「条約」の原語も、“Convention”です。

日本では「子どもの権利条約」は、「児童の権利条約」とも表現されます。

同条約では、“the Child”は、18才未満の子どもと定義されています。

国際人権規約で規定された基本的人権を、生存、成長、発達の過程で特別な保護と援助を必要とする子どもの視点から説明されています。

子どもの権利条約では、子どもの生存、発達、保護、参加という包括的な権利を実現・確保するために必要となる具体的な事項が規定されています。

子どもの権利と堀尾輝久東大名誉教授

1962=1971年の博士論文以来、堀尾教授は子どもの権利の保障を重視し続けています。例えば、以下のような著作もあります。

堀尾輝久『子どもの権利とは何か』岩波ブックレット、1986年。

堀尾輝久『子どもの人権を考える(日本学術会議講演記録)』日学双書、1992年。

現在でも日本における子どもの権利の保障の為に積極的にNGO活動等を展開しています。

2010年8月24日にも弁護士会館で堀尾教授は、子どもの権利についての講演を行いました。堀尾輝久「子どもの権利とは何か-人権と子どもの権利と子どもの人権-」(『自由と正義』第61巻第12号、日本弁護士会連合会、2010年12月)は、その講演録の抜粋です。

堀尾教授によれば、人権と子どもの権利と子どもの人権をどう考えるべきかという問題は、「子どもの権利条約の批准を求める運動前後から、日本の中でも議論がありました」(前掲『自由と正義』、p.37)。

子どもの人権と子どもの権利の区別

堀尾教授は、人権を人権から排除されて来た差異としての子どもに適用するという意味での子どもの人権という発想様式を退けています。

一般に子どもの人権と言いますと、人権を子どもに適用するという。つまり、これまで差別されていた女性にも人権を適用する。無視されていた子どもにも人権を適用するという、そういう発想になりがちです。しかし、子どもの権利の視点はそれだけではないのです(同上書、p.37)。

子どもの権利の導入による人権思想の豊穣化

まず堀尾教授は、子どもの権利が保障されないで大人になってもその人権の中身は「空疎」だと評価します。

そこから子どもの権利を人権の基底として位置付けます。

そして、堀尾教授は子どもの権利の問題提起性を二点指摘しています。

①人間にはそのライフステージや存在に相応しい固有の権利があり、その全体が人権であるということ。

②人権への関係的な視点の導入。

堀尾教授は②について次のように言います。

まず生命、生存、そして生きる権利。豊かな環境、ゆたかな人間関係の中で成長発達する権利。豊かな人間関係とは、受容的・応答的な人間関係ということです(同上書、p.36)。

その上で堀尾教授は、次のように問題を提起します。

子どもの権利の視点というものは、人権思想を豊かにし、そのコンセプトに時間的、関係的な視点(縦軸、横軸)を導入するということにもなるし、人間理解と人権の思想を豊かにしていく、そういう視点ではないか(同上書、p.38)。

国連の子どもの権利委員会の日本への第3次勧告

2010年6月20日に国連の子どもの権利委員会は、日本が提出した第3回報告を審査し最終見解を示し配布しました。この見解は日本政府への勧告も含みました。

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/pdfs/1006_kj03_kenkai.pdf

堀尾教授は、第3次勧告の内容を次のように指摘しています。

子どもの貧困に関して、人間関係の貧困、過度の競争のストレス、そして孤独ということが強調されています。引きこもり、不登校、暴力や非行、そして自殺に向かう(中略)子どもの世界でも、まさに孤独の中で子どもたちは苦しんでいるということなのです(同上書、p.39)。

堀尾教授は、日本政府への勧告としては次のようなものがあると指摘しています。

政府のなすべきこととして、ナショナルミニマムと条件整備、そして調査資料をちゃんと蓄積しろということも勧告の中では言っている。子どもの権利基本法に関しても、第12項でそれを進めるようにという勧告にもなっています(同上書、同頁)。

おわりに

堀尾教授は子どもの権利は、単なる人権から排除されて来た差異としての子どもへの人権の適用ではないと考えます。

逆に、それは人権に時間的、関係的な視点を導入し、それ自体を豊穣化させるという問題提起性を持っていると考えています。

これは差異の権利の承認は、単なる差異の人権への回収では無いことを示唆しています。

そうすると女性や障害者や少数民族や先住民族等の差異の権利にも同様なことが言える可能性もあります。

堀尾教授の子どもの権利思想は、大江洋兵庫教育大学大学院連合教育学研究科教授の「関係的権利論」と比較することが出来ると思います(大江洋『関係的権利論-子どもの権利から権利の再構成へ-』勁草書房、2004年)。

しかし、両者の共通性や差異性についての検討は今後の課題とします。

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