はじめにーカトリックの井上英治上智大学名誉教授に着目してー
日本には教養教育の幾つかのレガシーがあります。その一つは、筆者の恩師であるカトリックの井上英治上智大学名誉教授の教養教育です。一般教育や教養教育や人間教育を担当する上智大学人間学研究室のメンバーでした。上智大学の「生き字引」とも言われ、ある意味で上智大学における最高の教養教育の実践者でした。
同僚の教授も井上名誉教授を「学生に徹底的に尽くした教師」と評価しました。その姿勢は、カトリック的な「脱自己中心主義」と評価出来るかも知れません。イエズス会士の日本人の教授も「人格者」と評価し、特別視し畏敬の念を示しました。
1960年代末の大学紛争後、上智大学では教養教育が再検討され、人間学研究室が創設され、学生に必修科目として「人間学」を教えることになりました。井上名誉教授も教養教育の核としての「人間学」を担当し支えました。
井上名誉教授は、“education”の視点からの配慮により、タスク以外の授業としてゼミも開講しました。所謂「井上ゼミ」です。このゼミは一部の学生を強く惹きつけました。井上名誉教授を中心に学生や人間の輪が波紋状に形成されました。卒業後もゼミ生は交流し、一定の人間関係を保持しています。
恐らく井上名誉教授のゼミは上智大学の教養教育としての「人間学」の到達水準を示しています。しかし、管見では、この水準は学内に止まりません。
ここでは井上名誉教授の「人間学」の1994年段階の到達水準である愛とケアの思想を紹介し、その課題をシェアします。
井上英治「愛とケアーかかわりを中心にー」、『ソフィア』(上智大学、1994年秋季)
井上名誉教授は、1994年秋に『ソフィア』に「愛とケアーかかわりを中心にー」という論文を発表しました。恐らく『ソフィア』は査読制は採用していないと思います。そうすると専門家の審査を受けずに公表した論文ということになります。論文は形式的には「論文」ではありません。恐らくエッセーです。
しかし、井上名誉教授は、自分の思いを全人格的に語っています。普通、「論文」ではそういうことはしません。しかし、愛、ケア、かかわりは、カトリックの井上名誉教授が人生を賭けて追究した問題です。それは一人の日本のイエズス会系上智大学教授の個人的な関心ではないと思います。個人の枠は超越しています。カトリック、特に全体主義を支持した古いカトリックの枠は、超越していないかも知れません。そうすると私的領域に属す個人が、日本では「公的なるもの」に属すとされる大学のメディアで、全人格的に思いを表現した作品となります。
井上名誉教授は、倫理学者の和辻哲郎の著作を重視します。和辻は所謂「大正教養主義」を代表する人物です。当時の「教養」思想には大別して三つの系譜がありました。
第一に、ケーベル、夏目漱石の系譜です。和辻もこの系譜に属します。第二に、札幌バンドの新渡戸稲造、内村鑑三のプロテスタントの系譜です。和辻は第一高等学校時代に「新渡戸宗」でした。そうすると彼は第二の系譜にも属します。第三は、ケーベル、岩下壮一のカトリックの系譜です。この系譜には、カトリックの吉満義彦上智大学教授もいます。吉満は、全体主義を支持した「近代の超克」論者の一人です。
井上名誉教授が第三の系譜に属すのかは分かりません。しかし、全体主義戦争体験をシェアしています。そうすると吉満に近い位置にいた日本のカトリックかも知れません。
論文の課題
論文の課題を確認します。
誰も、一人で生きるわけではない。生命の出現・誕生の時から死の瞬間まで、人間は必ず何か誰かとのかかわり、とりわけ愛のうちに生きる。そして生が真に意義のある「その人らしいもの」になるかいなかは、多分にそれらに関係があるように思える。また最近、身体的・精神的ケア、終末期ケア、あるいは緩和的ケア、ホスピスケア、ケアワーカーなど、英語の「ケア」(care)という言葉が、いろいろなところで使われ出している。しかし、その内容は、必ずしも明確であるとは言い難い。
そこで、本小論では、人間の生を考える一助として、かかわりの本質や諸相を問いながら、愛やケアの内包に言及してみたいのである(井上英治「愛とケア―かかわりを中心に―」、『ソフィア』第43巻第3号、上智大学、1994年秋季、p.72)。
井上名誉教授は、「その人らしいもの」、「ケア」、愛に関心があったことが確認出来ます。
「その人らしいもの」に対応する英語は書かれていないが、恐らく“personality”ではないでしょうか。そうであれば、国連の世界人権宣言(1948年)等にも対応するものになります。
“personality”は近代日本でも問題とされて来ました。特に大きな関心が示されたのは大正時代です。昭和時代の前期もそうだったかもしれません。
また、「ケア」への着目も早いです。その後、「ケア」研究が日本でも盛んになります。
愛への関心は、日本の学問界では珍しいかも知れません。恐らくカトリックが愛を重視しているので、井上名誉教授も重視したのだと思います。
論文の本文
「人間関係」という言葉を避け、「かかわり」を使う理由。
いま、私は私なりに思う。今日、社会の中間集団の多くが組織集団になり、またそこで管理が促進されればされるほど、かかる社会は強者主導型のものになりがちで、そしてもしそうならば、そのような社会での人間同士のかかわりはぎすぎすしだして、そのためには、今日、人間関係がよく話題になるのかもしれないと(同上書、p.80)。
関心には「傾き」があります。
かかわりの第一歩が、関心、つまりは「心をかかわらせる」ことにあることを思えば、かかる態度がとられる背後には、そんな「何か」への関心、つまりは「傾き」が主体のうちにあるのであろう(同上書、p.84)。
愛に気付き、それに応答して、かかわることは、宗教に生きること。
主体が、相対者とかかわるに際して、相対者とかかわるに際して、相対者の根底を支え、相対者を生かし働く「愛そのもの」を感受と了解して、それに応答してかかわるとすれば、その時、自分の根底をも支え生かして働く愛そのものに気づき、それに応答してかかわることにもなろう。それは、宗教に生きることなのであろうが・・・・・・(同上書、p.84)。
愛は「与えること」。
フロムは、愛が「与えること」(giving)であると述べたあと、愛の諸要素の最初にケアを挙げ、それは相手の「生命と成長に積極的に気をかけること(active concern)」であり、またそれは「自ずからの行為」としての「応答性(responsibility)」に通じ、またその応答性は、「相手がその人自身としてありのままに成長し、発達すべきであるという関心」、つまり「尊敬(respect)である等々と言う。この叙述には頷けるものがある(同上書、p.86)。
論文の結論
「愛そのもの」の感応道交。
愛やケアは、人々が、相手に視点をおくことも含めて脱自己中心の姿勢などで相手にかかわり、相手や自分の根底に秘められれている「愛そのもの」に感応道交しながら、自分たちの内に生じたエネルギーに恵まれて、相手のありのままのニーズと状況を感受し、了解し、そして的確に応答して、相手そのものに、まさに合った的確なかかわりなのであろうか(同上書、86)。
「感謝人」の世界。
そしてまたさらに言えば、そのためなのであろう、愛やケアに徹する人々は、マザー・テレサなどの場合に見られるように、結果としては、相手をも何ほどか愛やケアする人々にして、結局、相互に愛しケアするというかかわりの交流の中の生の手応えを実感し、互に感謝し合うというわけなのであろう。
かくして、そんな人々は、まさに「感謝人」同士となるのであろう(同上書、pp.86~87)。
おわりに
井上名誉教授は愛の教育者でした。全人格的な関わりを重視した、井上名誉教授の脱自己中心性の思想と姿勢は、多くの学生に影響を与えました。それは宗教に生きる「感謝人」の世界でした。
井上名誉教授の愛とケアの教養教育は、「人間=理性、良心、友愛(世界人権宣言)」の友愛の教育を重視するものだったとも評価出来ます。
しかし、課題もあります。
第一に、全体主義戦争体験の総括の問題。井上名誉教授は太平洋戦争期の日本を次のように回想しています。
特に激しかった東京大空襲のさ中で、子ども心にも、どこにまた誰にぶつけていいのか分からない内から込みあげてくる怒りをおぼえ、戦争の悲惨さと、そんな戦争を起こす人間の狂気さと愚かしさを想い、しかし、そのような極限状況にあっても、互いに、親身になって助け合う家族や近隣の人々の態度に驚き、人間の愛と誠実さなどを思っていた(井上英治「かかわり―わが「人間学の歩み」を顧みて―」、『人間学紀要』第30巻、上智人間学会、2000年、p.176)。
井上名誉教授は戦争の悲惨さと戦争を起こした人間の狂気と愚かしさに怒りを覚えました。しかし、戦時下の人々の愛と誠実さに感銘も受けました(戦争の美学か?)。脱自己中心性が国家や全体主義と結合した場合、「滅私奉公」の論理にならないだろうか。
第二に、正義の欠如。カトリックは愛と正義の両方を重視しています。しかし、井上名誉教授は、正義には全く関心を示しませんでした。本文でも正義というタームは一度も登場しません。1993年に国連の世界人権会議で、普遍性が確認された人権というタームも、一度も登場しません。しかし、同論文だけでは、井上名誉教授が愛に関心があり、正義には関心が無かったとは評価出来ないと思います。もっと幅広く調査する必要があります。
第三に、人間の成長や発達と社会構造の分析視角の欠如。井上名誉教授が良く取り上げるエーリッヒ・フロムは、人間の成長や発達は社会構造に制限されていてその変革が必要だと考えてていました。しかし、井上名誉教授は社会構造の改革については全く論じていません。