はじめに
1956年、丸山眞男の弟子である政治学者の松下圭一は「大衆国家」論を展開しました。
1962=1971年、同じ丸山の弟子である教育学者の堀尾輝久は、松下の「大衆国家」論を教育学的に展開させました。「大衆国家」論は「福祉国家」批判でもありました。
1970年代以降、先進資本主義諸国では経済成長が停滞し、「福祉国家」がネオ・リベラリズムにより再編され始めました。
1989年、米ソ冷戦が終結し、1991年、ソ連が崩壊し、市場経済がグローバル化しました。社会主義は世界的に退潮しました。
その後、「格差社会」論が展開され、脱「格差社会」論も展開され、現在もその途上にあると思います。
ここでは「大衆国家=福祉国家」の問題を脱「格差社会」論はブレイクスルー出来るのか、少し考えます。結論を先取りすれば、ここではノーという仮説的方向性を暗示します。
なお敬称は省略します。
「大衆国家=福祉国家」の問題
松下によれば、「大衆国家=福祉国家」では、「労働者階級(プロレタリアート)」は馴化され体制内化され<大衆>として再定位されます。<大衆>は民主主義の主体ですが、実質的に操作される客体であり、民主主義は空洞化し、政治的無関心等を特徴とする「大衆民主主義」が生まれ、国民主権も空洞化します。
堀尾によれば、「大衆国家=福祉国家」では教育のソーシャル・エレヴェーターの機能がクローズアップされ、メリトクラシー(能力原理)が選抜原理として重視されます。
しかし、「大衆国家=福祉国家」のメリトクラシーには、次のような問題があります。
①教育(学歴)による社会的上昇移動の可能性は、人々が信じている程には大きくないこと。
②高等教育機会が供給過剰になり専門職や管理職に就職出来ないこと。
③「中間層それ自体のプロレタリア化こそ問題」なこと。
④「所属階級」(+地方社会)からの“climb out”(「自分の所属階級からぬけ出す」という不幸な内容を持つこと)。筆者なりに敷衍すれば、「エンパワーメント」としての“climb out”による「人格」を前提にする「人間」の破壊。
松下圭一の脱「大衆国家=福祉国家」論
松下はマルクスやレーニンの思想的な影響を受けていましたが、暴力革命によって「資本主義=階級」を止揚しようとは考えませんでした。
最後に、<大衆>状況の克服が問題となるだろう。この克服はまさに<大衆>状況をもたらした社会形態の変化自体によって条件づけられており、そしてむしろ、これは積極的条件として機能しうるのである(松下圭一『現代政治の条件』中央公論社、1959年、p.34)。
かくして日常的には、まず第一に、大衆的に保持されている市民的自由の実質的な確保をあげなければならない。(中略)市民的自由は、形式的自由として排斥されることなくむしろ変革という階級の論理の内部に結合しさらに再構成されなければならない(同上書、同頁)。
ついで第二に、この市民的自由のコロラリーとして、市民的自由の初等学校としての自主的集団の組織である。この自主的集団は個人を政治的に訓練していくとともに、体制の論理への抵抗殻として機能する(同上書、同頁)。
堀尾輝久の脱「大衆国家=福祉国家」論
堀尾は松下の脱「大衆国家=福祉国家」論を継承、展開しようとしたと言えます。
独占=帝国主義段階の国家としての現代福祉国家=大衆国家は、古典近代と断絶した論理と価値観のうえにたつものであり、現代国家の危機は、<自由>の名における自由の空洞化の危機にあるといえる。したがってまた、今日における問題の焦点は<自由>を現代的条件の中で実現するために、それと<集団>との関係をいかに再構成するかにある。そしてこのことは、現代における民主主義の課題に他ならない(堀尾輝久『現代教育の思想と構造―国民の教育権と教育の自由の確立のために―』岩波書店、1971年、p.ⅳ)。
1962=1971年、堀尾はこの課題をクリアするために、国家権力からの教師の「教育の自由」を核とする「国民の教育権」と「平等」を「階級の廃止=止揚」と捉える「教育における正義の原則」を提示しました。
堀尾の教育学研究は、杉本判決(東京地方裁判所、1970年7月17日判決)にも影響を与えました。
脱「格差社会」論者の「戦後政治」観―神野直彦と宮本太郎の場合―
脱「格差社会」論を代表する論者に、神野直彦や宮本太郎等がいます。神野や宮本は「戦後政治」を次のように総括しています。
資本主義と社会主義の体制間対立を背景とした戦後政治においては、皮肉なことに、それゆえに格差や再分配の問題が対立軸にならなかった。オポジションの側にとって、憲法と平和の問題こそが当面の争点であり、格差問題は社会主義によって原理的に解決される事柄であった。したがって、現体制下における社会経済的秩序の設計は後景に退いた。いかなる格差が是正され、あるいは容認されるべきか、再分配のルールをどう設定するか、具体的な構想はなかった。福祉国家の理念さえ体制の延命装置として一蹴されたのである(神野直彦+宮本太郎「はじめに」、同編『脱「格差社会」への戦略』岩波書店、2006年、p.ⅺ)。
イニシアティブを握ったのは保守政治の側だった。しかし、こちらにも再分配のあり方をめぐる明確な理念はなかった。格差問題の当面の解決は、利益誘導政治に委ねられた(同上書、同頁)。
考察
松下と堀尾は、「大衆国家=福祉国家」を克服し、自由の実質的な実現を目指しました。それは究極的には「階級」の廃止だったと思います。その意味で彼等は「大衆国家」内部でいかに体制を変革するかを考えました。しかし、管見では、彼等は「社会主義」を積極的には論じませんでした。
確かに神野直彦と宮本太郎が指摘したように、彼等は体制選択を問題にし、「格差」を分析したり、「大衆国家=福祉国家」内部の再分配の理念を提案したりはしなかったと思います。
その意味で神野と宮本の「戦後政治」の総括は、松下や堀尾にも妥当するでしょう。
恐らく再分配の理念の提案は、1971年のジョン・ロールズの『正義論』以降でしょう。
しかし、松下と堀尾は、「福祉国家の理念さえ体制の延命装置として一蹴」した訳ではありませんでした。二人は「大衆国家=福祉国家」の問題をかなり鋭利に分析しました。筆者は現在の先進資本主義諸国も、その問題をブレイクスルー出来ていないと思います。
尤も「大衆国家=福祉国家」の全ての問題を「階級」の存在に収斂させることは現在でも妥当なのかという問題はあると思います。しかし、ロールズ的な福祉国家論も挫折した可能性があります。
教育学者の小玉重夫は、1960年代以降のアメリカの改革、特に教育改革に関する論争的な文脈の中にロールズの正義論を位置付けて、思想史的に検討しました。小玉はギンタスらのロールズ正義論批判に基づき「分配ー再分配システム」の限界を指摘しています(小玉重夫『教育改革と公共性―ボウルズ=ギンタスからハンナ・アレントへ―』東京大学出版会、1999年の第1章第3節)。
これは再生産理論からの「リベラリズム=ロールズ正義論=福祉国家」批判です。しかし、この批判の妥当性は丁寧に検討する必要があります。
脱「格差社会」論も、リベラリズム(ドゥウォーキン)に依拠する傾向があります(神野直彦+宮本太郎「「格差社会」を超えるために」、同編『脱「格差社会」への戦略』岩波書店、2006年、pp.200~201)。
もしリベラリズムの「分配ー再分配システム」に限界がある場合、「大衆国家=福祉国家」の問題をブレイクスルー出来ない可能性があるのではないでしょうか。
経済学者の橘木俊詔と公共政策学者の広井良典の「新しい福祉国家」論でも、教育が「分配ー再分配システム」の限界の視点から検討されていません(橘木俊詔+広井良典『脱「成長」戦略―新しい福祉国家へ―』岩波書店、2013年の第1章第3節)。
脱「格差社会」論が依拠するリベラリズムの「分配ー再分配システム」に限界があると評価するには、脱「格差社会」論を詳細に検討する必要があります。しかし、それは今後の課題とします。