はじめに
カトリックの半澤孝麿は、丸山眞男や福田歓一に近い位置にいた政治学者です。しかし、半澤は、戦後日本の政治学界で支配的であった「丸山・福田パラダイム」に疑問を持ち、オルタナティブを模索しています。ここでは半澤の思索の到達点を確認します。なお敬称は省略します。
戦後日本の政治学界で支配的だった「丸山・福田パラダイム」
当時、ヨーロッパ政治思想史の研究者たちは、天皇制ファシズムの廃墟を乗り越えて日本における近代を建設すべく、自立した個人が理性を行使して自由な同意の上にデモクラティックな国民国家を形成する理論モデル、いやそれ以上に普遍的理念として、社会契約説の歴史的意義を強調する福田歓一教授の業績に大きな共感と支持を寄せていた。ホッブス、ロック、ルソーが「近代民主主義の源流」論大合唱の主要曲目となった(半澤孝麿「回想の『ケンブリッジ学派』一一政治学徒の同時代思想史物語ー」、『思想』第1117号、岩波書店、2017年5月、pp.218~219)。
それはまた、ルネサンスと宗教改革を分界点とする中世・近代断絶史観でもあった。その背後には、ヘーゲルの歴史哲学に傾倒した若き丸山眞男教授の近代観の影が色濃く見える(同上書、p.219)。
そして、この言うなれば丸山・福田パラダイムは、ソヴィエト・コミュニズムの崩壊後も、資本主義の非人間性の修正を目指す社会民主主義論と連動して、多くの論者のモラルの支えとして生き続け、少なくとも二〇世紀末まで、福田教授ら戦後政治学第一世代から、私も属している第二世代、さらに団塊の世代と言われる第三世代までを支配したと考えてよいだろう(同上書、p.219)。
「丸山・福田パラダイム」への違和感
私もまた同世代の一員として、この史観の天皇制国家論拒否には少なからぬ共感を覚えた。だが私は、他方そこに或る種の違和感を禁じることもできなかった。理由は、最も一般的には、近代と鋭く対立する第一ヴァティカン公会議の体制を無条件には肯定できないにせよ、やはりカトリックである私にとって、同時代のおおくの若者のように、「前近代」と鋭く区別された「近代」という言葉が、歴史の中で実現すべき理念として特別の輝きを持つことはなかったためである(同上書、p.219)。
「丸山・福田パラダイム」への疑問(1)
この近代政治理念成立史論には、納得できない二つの点があった。その一つは、それが、経験からの帰納とは遠い、カント風の先験的な個人の自律論を前提とする、強い意味での倫理的な政治・歴史論だったことである。それは個の「自立」とされる「政治的自由」の政治としての規範的デモクラシー概念を普遍人間的テロスの位置に高め、その展開をホッブスからルソーに至る理論史の中に見る。こうした議論は、理念としてのデモクラシーといえども、その言葉のもたらす現実と共に議論されるのが常であったヨーロッパではおよそ考えられない(同上書、p.219)。
「丸山・福田パラダイム」への疑問(2)
近代政治理念史について私のいま一つの疑念は、その倫理主義とは一見逆説的に、そこで前提にされる「近代的自由」すなわち思想と行動における個人の自由が、実はカント亜流の形式的概念ではないかと思われたことである。(中略)これを現在の私の知見で言い直せば、そもそもヨーロッパ思想史の中の倫理的「自由」は、それを近代の所産とする中世・近代断絶史観が見るのとは異なり、初期中世以来のキリスト教における自由意志説として形成されてきた、強く非政治的な目的論的概念である(同上書、p.220)。
おわりに
半澤は「丸山・福田パラダイム」に対し二つの疑問を呈しました。一つは近代政治理念史の現実の捨象への疑問、もう一つは中世・近代断絶史観への疑問でした。
2017年段階で半澤は、「西洋政治思想史物語」を通底する全体的特質は、「自由の倫理的力(moral force)」と「政治と非政治の持続的緊張」の二つの主題に集約出来るのではないかという仮説に到達しました。
筆者は世俗化された近代政治理念史に「自由の倫理的力」を再定位する試みは重要だと思います。