松下圭一の「大衆国家」論

はじめに

1962=1971年の博士論文で政治学者の丸山眞男と教育学者の勝田守一の弟子の堀尾輝久は、「大衆国家」のメリトクラシーの問題をブレイクスルーしようとしました(堀尾輝久『現代教育の思想と構造―国民の教育権と教育の自由の確立のために―』岩波書店、1971年)。

はじめに 多くの法ではメリトクラシー(能力原理)と機会均等原理が結合し、公正な機会均等原理を構成しています。それはジョン・ロールズの正義論...
「逆コース」の中の1962=1971年の博士論文で堀尾輝久は現代国家を「大衆国家=福祉国家」と把握し、そのメリトクラシー(能力原理)の問題を批判しました。後期中等教育がユニバーサル化した1970年代以降、堀尾はエリート「冷酷化」論を展開しました。

http://www.satoshi-kaneko.com/justice/970/

堀尾の「大衆国家」論は、同じ丸山の弟子だった政治学者の松下圭一の「大衆国家」論を教育学的に独自に展開したものでした。

「逆コース期」の1956年に松下は「大衆国家」論を展開しました(松下圭一「大衆国家の形成とその問題性」、『思想』第389号、岩波書店、1956年11月)。同論文は、1959年の『現代政治の条件』(中央公論社)にも収録されました。

堀尾の「大衆国家」論を理解するには、松下の「大衆国家」論を理解する必要があります。しかし、それは歴史研究の対象とも言い切れません。現在でも松下の「大衆国家」論は、現代資本主義国家を理解する為の手掛かりの一つかも知れません。

近年、松下の思想研究は本格化しつつあります。

例えば、趙星銀『「大衆」と「市民」の戦後思想―藤田省三と松下圭一―』岩波書店、2017年。

ここでは松下の「大衆国家」論のエッセンスを紹介します。なお敬称は省略します。

「大衆」とは何か?

まず松下が言う「大衆」とは何か確認します(松下圭一『現代政治の条件』中央公論社、1959年、pp.9~10)。「大衆」の原語は、英語の“the masses”です。松下はそれを「一義性を欠いた論争的概念」と呼びました。

松下の「大衆」を次の諸概念と区分しました。

①“people(人民一般)”

②“multitude(多数派)”

③“crowd(群衆)”

④“mob(暴徒)”

それらに対し松下は「大衆」を20世紀の「特殊歴史的形象」と捉えました。また、松下は「大衆」を「高度に生産力の発達をみている欧米独占資本段階の産物」と考え、「ソヴエト・ロシア」と「アジア」は、「一応括弧のなかにおさめられている」と述べました。

20世紀における「大衆国家」の成立

二〇世紀における欧米資本主義の独占段階への移行は、「経済」における資本構成上の高度化のみならず、この高度化の前提をなす生産の社会化Vergesellschaftungを基礎として、「社会」の形態変化をもたらした。(中略)人口量の圧倒的なプロレタリア化――伝統的な生産手段からの乖離と労働力の商品化――を必然化した。すなわち、労働者階級の量的拡大と、独占段階の人口構成のすぐれた特徴をなす新中間階級の新登場である。(中略)従来、資本主義の論理的前提でありながらも、「市民社会」にとって非存在であった労働者階級は、社会内部の存在になることによって、<大衆>として定位されるにいたった。(中略)かくして、このような<大衆>的問題状況の成立によって、一方において市民的個人性を原理とする自由の理念も大衆的福祉国家の自由へと構造転換する(同上書、pp.10~11)。

「市民的個人性を原理とする自由の理念も大衆的福祉国家の自由へと構造転換する」は、人権の空洞化かも知れません。

「大衆国家」と「大衆」

労働者階級は、政治的支配をかちとることなく、大衆デモクラシーを前提として、資本主義国家の「国民」に転化し、ここで「祖国」をもつことになった。労働者階級は国家の内部に<大衆>として解放されるとともに馴化される。労働者階級は、本来の組織を強化しながらも、なお国家の内部に受動化されることによって国家の疑似主体となった――しかし、大衆国家の成立はけっして資本主義自体の止揚ではない。国家を媒介として、経済的オリガーキーと政治的デモクラシーが対応しているのである(同上書、p.24)。

『広辞苑 第6版』(岩波書店、2008年)によれば、「オリガーキー」とは「寡頭制」、「寡頭政治」です。

<大衆>はデモクラシーにおける矛盾である。<大衆>はデモクラシーの主体(普通平等選挙権)でありつつも、むしろ操作対象として客体化され、体制と大衆は悪循環をくりかえしている。体制の論理によって創出された<大衆>は、体制の主体として定位されつつ、政治的自由の大衆操作によって内面から空洞化される危険性をはらんでくる(同上書、p.28)。

「大衆国家」と「市民」

かくて、神から君主へ、君主から理性へ、理性から市民へと歴史的に移行していった社会像の形象核は、市民から<大衆>へと下降せしめられていく。資本主義生産様式における生産の個別性を前提とする私的所有を基礎に、デカルト的理性の明晰性とロック的経験の直接性を理論史的背景として構築された市民的人間像の原型はここに崩壊することになった(同上書、p.11)。

「大衆国家」と「平準化」(社会の「小市民」化)

この平準化は、まず第一に、大量生産による「ブルジョア文化」の商品化、ないしミニチュア化された「ブルジョア文化」の下降を意味するものにすぎず、この商品化、下降化の媒介者としては新中間階級がほとんど独占的にその機能を担当している。(中略)平準化も各社会層において不均等であり、むしろ社会上層が、プロレタリア化の過程を原型とする大衆文化に、より均霑しえているという逆説的結果をもたらしている。この意味では、大衆文化の成立とは社会の「小市民化」と規定しうるものにすぎない。また、この商品という形式をとる大衆文化の内容は、<大衆>的一般性の要求から、極度に感性的消費性をもってくる(同上書、p.25)。

『広辞苑 第6版』によれば、「均霑」とは、「(生物がひとしく雨露の恵みにうるおうように)各人が平等に利益を得ること」です。

現在では、「社会上層」への「大衆文化」の「均霑」とは、ロックやヒップホップ、カラオケや居酒屋やマンガ等の「均霑」でしょうか。

確かに王制や貴族制が残るイギリスの王室も、ロック歌手のポール・マッカートニーに「ナイト」の称号を授与しました。

これは「社会上層」への「大衆文化」の「均霑」でしょうか、あるいは王室による国民統合の為の文化戦略でしょうか。

日本にも象徴天皇制と結合した叙勲制度があります。

同じようなことをしているということでしょうか。

「大衆国家」と「階級」

むしろ階級構造を基礎とする体制の論理の分析を前提にしてはじめて<大衆>の問題状況は把握できるのである。それゆえ、<大衆>の政治的無関心あるいは政治的熱狂への批判も、体制の論理への批判と結合されなければならない。(中略)<大衆>化は<階級>の特定状況であって、けっして<階級>を止揚しえない(同上書、p.29)。

「大衆国家」と日本

ついで、日本においても、その特殊性をもちながら、独占段階における社会形態の変化という一般的状況が進行しているのであり、「封建」対「近代」のみならず、さらにするどく「近代」自体の問題が提起されなければならない(同上書、p.34)。

おわりに

松下の「大衆国家」論は、「近代」批判も射程に入れたものでした。このポストモダン的な問題意識は、堀尾の「大衆国家」論にも継承されました。

松下の「大衆国家」論は、欧米や日本の現代資本主義国家を説明するものとして、現在でも一定の妥当性があるのではないでしょうか。

しかし、「階級」論を暗黙の前提にしています。この点は議論の余地があると思います。

1989年、米ソ冷戦が終結し、1991年、ソ連が崩壊し、市場経済がグローバル化しました。その後、市場経済のメリットが評価されるようになりました。1996年と1997年に世界銀行で、リベラル派の厚生経済学者アマルティア・センも、市場経済や国家権力が果たす役割の重要性を強調し、グローバル市場経済、国家権力、規範(基本的ケイパビリティの平等や人権)を再定位しようと試みました(Amartya Sen,Development as Freedom.Oxford University Press, 1999.アマルティア・セン[石塚雅彦訳]『自由と経済開発』日本経済新聞社、2000年)。

日本では「第三の道」をリードする人材はいるのでしょうか。現在も国家権力は「教育」を<教育なるもの>にすり替え続けているのでしょうか。子どもに英語や国家道徳を教え、「洗脳う」したり「操作」したりして、国民の関心を逸らし続けているのでしょうか。マスメディアも資本の側にいるでしょうか。資本を提供し、クライアントでもある人々にとって不利益な情報は流さないのかも知れません。「公共放送」は資本に左右されない情報を国民に提供しているのでしょうか。

良く分かりませんが、松下が指摘した「大衆国家」の問題状況は、依然解消されていないのではないでしょうか。事実の場合、「大衆≒国民」は、問題状況から出られなくなっている可能性もあります。そうすると解決策を考える必要があるでしょう。

http://www.satoshi-kaneko.com/justice/1094/

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