人権の理念と現実のズレ

はじめに

前回、人権の理念をその「人間」観や「教育」観との関係から再確認しました。今回は、人権の理念と現実のズレについて日本を念頭にしながら考えます。

人権の現実(1)―領域間のズレ―

第二次世界大戦前の大日本帝国憲法では、人権が保障されていませんでした。保障されていたのは、「臣民の権利」でした。第二次世界大戦後、日本では日本国憲法が公布、施行され、「法の支配」による「基本的人権」の保障が始められました。しかし、現実の自生的秩序に人権が直ぐに適用された訳ではありませんでした。

1957年の朝日訴訟では生存権(社会権)はプログラム規定説とされました。また、人権は社会的権力を持ち専制を行う可能性がある中間集団にも、直接適用することは難しいとされる傾向がありました。中間集団には、私的領域に属す企業も含みます。しかし、間接適用説という立場もあります。この立場では人権は企業等にも適用されます。

また、部分社会論という立場もあります。これは特定の中間集団を人権の適用から積極的に外そうとする立場です。部分社会には、大学、宗教教団、弁護士会、地方議会等があるとされます。

しかし、部分社会論には議論の余地があると思います。例えば、大学の自治がある大学でも人権の抑圧としての「アカデミック・ハラスメント」が問題になり、訴訟も起こっています。そうすると自己規律や自浄の機能を失う場合、部分社会は人権の抑圧の巣と化す危険もあります。

人権の現実(2)―時間、空間、集団、個人間のズレ―

日本では法の支配によって人権が保障されない自生的秩序は、広大な領域で存在する可能性もあります。そこには時間、空間、集団、個人間のズレもある可能性があります。

空間間のズレの一つには、大都市や都市と地方社会の間のズレがあります。そのズレの原因としては、人権によって調整されない伝統的な自生的秩序が、地方社会では現代でも残存している可能性が高いことが考えられます。

実際、そう証言する地方出身者も少なくありません。例えば、三重県松阪市出身の政治学者の岡野八代同志社大学教授も、次のように証言しています。

「わたしは、三重県の松阪市で生まれ育ちました。松阪牛で有名なわたしの故郷は、大学進学を機に離れてみてようやく、歴史的に作られた複雑な差別構造をもった市なのだと気づきました。それ以来、差別やアイデンティティの問題に関心をもち、歴史的・理論的にこれらの問題を考えるために、哲学ではなく、政治思想を専門に選びました。内向的な思索ではなく、世界とのかかわりの中で、差別やアイデンティティの問題を考えたかったからです。
その後、博士課程に進学するさい、カナダに留学し、政治思想においてフェミニスト理論がいかに大きな貢献を果たしているのかを目の当たりにしました。差別やアイデンティティの問題に、ジェンダー構造・秩序は大きな影響を与えています。また、社会全体の隠された支柱こそが、ジェンダー構造です。みなさんの関心から、こうした問題を一緒に考えていけることを楽しみにしています」。

http://global-studies.doshisha.ac.jp/teacher/teacher/okano.html

ここでは岡野教授は、論争的な「差別」を定義していません。もし「差別」が理に適った形で定義されたとしても、松坂市での「差別」の実証の問題が残されています。従ってこの段階では岡野教授の証言が事実認識として正しいかは判断出来ません。しかし、岡野教授の証言は、人権保障には空間間のズレがあり、進学、就職、転居等による空間上の移動がアイデンティティの混乱をもたらす可能性を示唆しています。これは青年期における「アイデンティティの危機」の克服を、誰でも直面するライフサイクル上の「発達課題」とする一部の心理学へのアンチテーゼにもなります。実際、社会史、特に青年の社会史研究は、アンチテーゼを実証する研究をしています。

おわりに

法の支配による人権の保障が個人にも適用されれば、個人は多くの憂鬱や苦難から解放される可能性があります。しかし、人権の保障対象から外れる領域も沢山あります。そうすると多くの個人は、人権の無視、侮辱、良心の蹂躙、言論と信念の自由の抑圧、恐怖と欠乏等の不正義や悪から解放されない可能性があります。

また、人権保障の水準には領域、時間、空間、集団、個人間のズレがある可能性があります。このズレの調整も難しい問題です。このズレは、出生つまりヒト界あるいは人間界での出現ポイントに由来するズレです。出生のズレは、本人の自己決定や選択の結果ではないので、「自己責任」ではなく「運」の問題だと評価出来ます。そうするとこの運のズレをどう補償するのかが問題になります。この問題の無視あるいは軽視は、危険だと思います。というのも、運が悪った人々が人権が保障された世界が日本に「降臨(advent)」することに対する「抵抗勢力」になる可能性もある為です。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする