正義の基礎としての人権の理念

はじめに

現代世界の正義の核の一つは人権です。人権は近代の市民革命の理念である「自由、平等、友愛」を結晶化したものです。正義の基礎としての人権の理念を世界人権宣言を手掛かりに再確認します。その際、その「人間」観や「教育」観に注目します。

世界人権宣言の成立の経緯

第二次世界大戦では、英米仏等の連合国軍は、人権の擁護を戦争の目的に掲げました。その後、この目的は国際連合憲章の人権規定とされましたが、それは一般的なものに止まっていました。そこで国連の経済社会理事会の下部組織として人権委員会が設置され、世界人権宣言案が準備されました。

しかし、当時は米ソ冷戦が始まった頃で、資本主義緒国は自由権を社会主義諸国は社会権を強調し対立しました。また、国際法学者の芹田健太郎によれば、サウジアラビアや南アフリカ共和国は「きわめて保守的な態度」を取りました(芹田健太郎「世界人権宣言」、『世界大百科事典』第15巻、平凡社、1988年)。「保守的」の内容は説明されていませんが、当時はまだ人権についての普遍なイメージは無かったことは確認出来ます。

結局、1948年の国連第3総会では社会主義諸国とこの二国は棄権し、世界人権宣言は賛成48、反対0で採択されました。

世界人権宣言の理念

世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)の前文では、次のようにあります。

Whereas recognition of the inherent dignity and of the equal and inalienable rights of all members of the human family is the foundation of freedom, justice and peace in the world,
Whereas disregard and contempt for human rights have resulted in barbarous acts which have outraged the conscience of mankind, and the advent of a world in which human beings shall enjoy freedom of speech and belief and freedom from fear and want has been proclaimed as the highest aspiration of the common people,
Whereas it is essential, if man is not to be compelled to have recourse, as a last resort, to rebellion against tyranny and oppression, that human rights should be protected by the rule of law

http://www.un.org/en/universal-declaration-human-rights/index.html

http://www.mofa.go.jp/policy/human/univers_dec.html

まず「人類(the human family )」の全てのメンバーの本来的な尊厳と平等で不可侵な権利の「承認(recognition)」は、世界における自由、正義、平和の基礎であるとされます。

次に「人権(human right)」の「無視( disregard )」と「侮辱(contempt)」は、「人間(mankind)」の「良心(conscience)」を「蹂躙した(outraged)」「野蛮な(barbarous)」行為に終わったので、「人間(human beings )」が言論と信念の「自由(freedom)」、恐怖と欠乏からの「自由(freedom)」を享受する世界の「降臨(advent)」は、「民衆/人民(the common people)」の最も高い欲求として宣言されたとされます。

第三に、「人間(man)」が「専制( tyranny )」や「圧迫/抑圧/弾圧/憂鬱/苦難(oppression)」に抵抗する最終手段として「謀反/反乱/暴動(rebellion)」を頼みの綱にすることが無いように、人権の「法の支配(the rule of law)」による保護が「本質的/不可欠(essential)」であるとされます。

世界人権宣言は、次のものを不正義や悪と考えます。

①人権の無視、侮辱。

②良心の蹂躙。

③言論と信念の自由の抑圧。

④恐怖と欠乏からの不自由。

同宣言は、こうした不正義や悪を「野蛮(barbarous)」と評価し、人権の法の支配による保護つまり「文明」を対置します。

世界人権宣言の「人間(human beings )」観

同宣言は、「人間」を様々に表現しています。

“human”、“mankind”、“human beings ”、“man”、“the common people”。

では「人間」とは何でしょうか。それはヒトゲノムによって定義されるような生物学的な意味でのヒトでは必ずしも無い可能性もあります。

同宣言第1条では、人権の「人間(human beings )」観が明確にされています。

All human beings are born free and equal in dignity and rights. They are endowed with reason and conscience and should act towards one another in a spirit of brotherhood.

まず“human beings ”というタームが使用されていることが確認出来ます。次に「人間」は生まれながらに尊厳と権利において自由で平等であるとされます。第三に、「人間」は、「理性(reason)」と「良心(conscience)」と「友愛の精神(a spirit of brotherhood)」を持つ存在とされます。

一般的には、理性は感性や感情等に左右されない、真偽を識別する能力と考えられます。古来から理性は「人間」と「動物」を識別する指標とされて来ました。良心は善悪を識別する能力、道徳感覚と考えられます。そうすると理性と良心が欠如する場合、真偽、善悪を識別出来なくなくなり、ある意味で「人間」ではなくなります。ヒトに止まるとも言えます。それに対し美醜を識別する能力、美的感覚は、「人間」の条件とはされていません。

世界人権宣言の「人間」観と「教育(education)」観

ヒトを「人間」に発展させるものは「教育」です。そこから世界人権宣言第26条には、フランス人権宣言には無かった「教育への権利(the right to education)」があります。

1. Everyone has the right to education. Education shall be free, at least in the elementary and fundamental stages. Elementary education shall be compulsory. Technical and professional education shall be made generally available and higher education shall be equally accessible to all on the basis of merit.

2. Education shall be directed to the full development of the human personality and to the strengthening of respect for human rights and fundamental freedoms. It shall promote understanding, tolerance and friendship among all nations, racial or religious groups, and shall further the activities of the United Nations for the maintenance of peace.

「教育(education)」は、「人格(the human personality )」の「全的発展(full development )」と人権や「基本的自由(fundamental freedoms)」へのリスペクトの強化に方向付けられたものとされます。恐らく「人格」の「全的発展」は価値の識別能力の「発展」と関係します。価値には真偽、善悪、美醜等があります。同宣言の「人間」観は、前二者の識別能力と不可分なものでしたが、美醜の識別能力は直接的に「人間」の条件とはしていませんでした。しかし、「人格」が真善美という価値と関係する場合、美醜の識別能力も伴う可能性はあります。また、基本的自由は定義されていませんが、前文を踏まえれば、言論と信念の自由と恐怖と欠乏からの自由だと考えられます。その上で、初等あるいは基礎的な “education”は、無料で強制的なものとされます。

おわりに

世界人権宣言の「人間」観は「教育」と不可分です。それ故、同宣言にはフランス人権宣言には無かった強制性を伴う「教育への権利」があります。「教育」は理性と良心(と美的感覚)を持つ「人格」の「全的発展」と人権や基本的自由のリスペクトを強化する「教育」は、「教育」のあるいは人生の初期の段階で強制されることになります。ある意味で「啓蒙/啓発(enlightenment)」の強制です。逆に言えば、人権は「無知蒙昧」には一定程度「不寛容」であることを意味します。「無知蒙昧」は宗教、特に理性と対立する種類の宗教とも相関します。その意味で人権は18世紀以降の啓蒙主義の文脈の中に位置付くものです。

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